乎那の峯は三ヶ日町鵺代にある。「乎那(おな)」も読めないが、「鵺代(ぬえしろ)」って地名がそもそも不気味でかつ難解だ。

 

「乎」のように画数が少なくて読めそうな漢字を読めないとイライラしてくる。甲州の高川山に登る時に見つけた富士急行の駅名「禾生(かせい)」も同じだ。逆に、「鵺」は夜と鳥がくっついた字で如何にも不気味だ。調べてみると日本古来の妖怪とか。

 

<乎那の峯から猪鼻湖を望む> ※2022年2月

 

ネット検索するといろいろな逸話が見つかり、改めてネットの効果を実感した。先ずは検索結果を見てみよう。

 

(1)検索順に確認していく

●資料1:エルニーニョ深沢さん

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三ヶ日町に鵺代、尾奈という地名の二区と胴先という半島が猪鼻湖に突き出している。昔、源三位頼政が鵺という怪物を退治した時、矢が当たって鵺の体は三つに飛び散り、頭が落ちた所を鵺代といい、尾の落ちた所が尾奈となり、胴の落ちた所が胴先となった。また、矢の落ちた所は矢塚と呼んで、現在でも小さい塚がある

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三ヶ日に飛び散った鵺(Nue came flying to Mikkabi, Shizuoka) (biglobe.ne.jp)

http://www5e.biglobe.ne.jp/~elnino/Folder_DiscoverJPN/Folder_Middle/JPN_theNue_Mikkabi.htm

 

●資料2:Amebaブログ・菊蔵さん

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二条天皇在位中の永暦元年(1160)、真夜中に黒雲が御所を覆い、不気味な鳴き声が聞こえてきます。それが連日続き、とうとう二条天皇は病の身になってしまいます。そこで源義家の故事にならい、弓矢の名手「源頼政」に鵺退治を命じ、頼政は見事その期待に応え、鵺を退治したというのが大まかなあらまし(文献、資料によって、時代や天皇に違いあり)。

(中略)

さて、退治された鵺は従者 猪早太が取り押さえる

(中略)

橘逸勢伝説のある浜松市北区三ケ日町の伝説を調べていたら、猪早太は鵺を斬りつけ、それが三つに飛び散り、頭の落ちたところが、三ケ日町の鵺代、胴の落ちたところが胴元、尾の落ちたところが尾奈と、今も地名として残っているのですね。しかも、尾奈にはその時の矢が残っていて、その持ち主は「大矢」さん。矢が落ちたところは「矢塚」と言うそうです。

(中略)

詳しく調べてみると、猪早太が遠江国の人だったとか、この地の豪族浜名政清が頼政の四代目の孫であったことが分かりました。おそらく、この二つから鵺伝説が三ケ日町に残されたと思います。

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源頼政の鵺退治~鵺の遠江国伝説。 | 菊蔵の「旅は京都、さらなり」(旅と歴史ブログ) (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/blogbears/entry-10849869812.html

 

●資料3:Amebaブログ・Mさん

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1158、病気にかかられた二条天皇。

鵺(ぬえ)が気味の悪い声で鳴くときに病状は重くなる。

だから鵺の仕業だと考えた。

(中略)

こんな感じの話が「平家物語」にあります。

問題はこの撃たれた「鵺」がどうなったかということ。

平家物語では

同行した家臣がとどめを刺し

そして川に流します。

しかし三ケ日では

「バラバラになった鵺が三ケ日に降ってきた」と言われているのです。

頭は「鵺代」に、尾は「尾奈」に、胴は「胴崎」に。

(中略)

現在の「三ケ日町津々崎」。(胴崎)

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252 民話伝説【鵺伝説】~静岡県浜松市をドライブしよう~ | 私が見た静岡県浜松市はこんなに楽しい (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/clubecoast/entry-12459419393.html

 

●資料4:ふるさと情報館・中村さん

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鵺は『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビだという。鵺は平安時代に京の猛者に退治されたが、切り刻まれた身体が遠江(浜名湖)の奥・三ヶ日町の入江に落ちてきたといわれている。

奥浜名湖はその形から猪鼻湖(いのはなこ)と呼ばれているが、その妖怪が落ちてきた場所が鵺代(ぬえしろ)、長い尾が落ちた場所が尾奈(おな)、胴体は胴崎(どうさき)(現在の三ヶ日中学校あたり)に沈んだという。

天浜線に沿っていずれも現在もまだその地名が残っている。

胴崎の東側には津々崎(つづさき)という地区があり、長い石段を登った小山の頂上に湖を見渡せる神社がある。そこと対峙するように正面の位置にあるのが干潮時にだけその姿を見せる湖のなかの鳥居だ。いまも村人たちの手により丁重に鵺を供養しているのだと私は聞いたことがある。

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静岡◆浜松/奥浜名湖の鵺(ぬえ)伝説【所長中村・ふるさと随想録】 | ふるさと情報館 (furusato-net.co.jp)

https://furusato-net.co.jp/06shizuokanakamura


(2)検索してみて

最初は鵺代って地名をどうして選んだのだろう、そんな素朴な疑問から調べ始めた事だった。

 

「鵺」が得体の知れない妖怪であり、その逸話が尾奈、胴先、胴元、胴先半島、津々崎、など三ヶ日の地名として残っている事が判った。鵺代と尾奈、胴先半島は猪鼻湖の西岸にあり、津々崎は北東側に位置する。胴元って胴崎で、現在の津々崎なのか。津々崎弁財天もついこないだ通ったな。胴と筒と津々、先と崎など同じ読み方で漢字が変化していくのも面白い。

 

検索し始めると尽きない。鵺には羽根が生えていて三ヶ日に羽平って地名が残っているとの話も出てきた。確かに「鵺」って漢字は夜の鳥と書くから羽根があっても全然おかしくない。三ヶ日町日比沢の字(あざ)に羽根平とあるけどそこなのか。ハッキリと確かめられなかったので、ここで留めよう。

 

<日比沢バス停> ※2022.3

 

思えば今年の1~3月は三ヶ日開拓の低山旅を繰り返していた。以下ブログは先出しなので、詳細はほぼ1年後、年明けから書いていきたい。

※参考ブログ

 

鵺を検索しているとトラツグミって鳥が出てくる。鈍い黄色と黒の細かい羽根模様。鳴き声をYouTubeで聞いてみたけど、お世辞にもカワイイとは言えない。怪談とか始まりそうな暗い音色だった。

 

●資料5:Wikipediaでトラツグミ

 

(3)今年の大河ドラマと同時代

源頼政、猪早太、浜名政清なんて古の武家の名前も初めて聞いた。人名と地名ってやっぱり人が先に活躍して、その地に刻まれていくのだろうか。はて、1158年や1160年って大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時代とざっくり符号しているんじゃないのか?

 

もしかしてと思い、今年の大河ドラマの年代を確認してみると、第一話が1175年らしい。「鎌倉殿の13人」では源頼政を品川徹が演じている。役者の名前は知らなかったが、かつてフジ「白い巨塔」で病理学の教授役やTBS「ドラゴン桜」の数学教師役で記憶している方だ。ただ、以仁王とともに平家に挑んだので既に出番は終了しているな。二条天皇は登場していないがNHKサイトによるとこう載っていた。

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保元4年/平治元年(1159)12月9日、平治の乱が勃発。源義朝が三条殿を焼き討ちし、後白河上皇・二条天皇を幽閉。
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例年、戦国時代より古の時代を扱っている大河ドラマをあんまり見ていないので、私にとってなかなか新鮮な話題だった。

 

(4)鵺代と贄代

時代をもっといにしえに遡って行くと、万葉集の時代には「贄代(にえしろ)」や「贄の浦」と言う地名も出てくるのか。もう話が広がり過ぎてこれ以上は消化できそうにない。なので、引用するのに留めて本日のブログはここで終了したい。

 

●資料6:folklore2017.comさん

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当地は中世末まで贄代と称されており、地名の由来は古代、贄の貢進地であったことによると思われ、「万葉集」にも「贄の浦」と詠まれている。江戸初期に至り、源頼政の鵺退治伝説に仮託し、鵺代と改称された。

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「鵺代」の地名の由来 (folklore2017.com)

https://folklore2017.com/timei900/845.htm

 

●資料7:かたむき通信さん

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敷智郡の郡衙たる伊場遺跡には現在通常浜名郡及び引佐を想起させる 京田みやこだ(都田)、 贄代にえしろ(鵺代ぬえしろ)、 新井(居)などの地名の記された木簡が出土しています。

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浜名湖南部陸地説と古代浜松地名比定地|かたむき通信 (acenumber.com)

https://katamuki.acenumber.com/2017/08/the-theory-of-which-southern-part-of-lake-hamana-is-land-and-identification-of-the-ancient-hamamatsu-place-name.html

 

●資料8:武豊町観光協会

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伊勢神宮の贄代郷になった土地は、静岡県浜名湖の北岸、三重県多度山のふもとと、この知多郡の三か所だったことが倭名鈔に書かれている。

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武豊町観光協会 - たけとよ知恵袋 (taketoyo.info)

http://taketoyo.info/chiebukuro/02.php