日程: 2021年12月初旬

行程: 片道3.4kmで50~55分

 

この日は、二俣線(天竜浜名湖鉄道)の遠江一宮駅からスタートした。目指すは、遠州一宮・小國神社の紅葉だ。ここは豊川稲荷と同様に子供の頃に初詣でお参りした事はあるけど、ハッキリした記憶は残っていない。

 

<小國神社(2)>

 

 

ただ、2021年の春に三河の本宮山(ブログ投稿は遅延)に登った折に、山頂部の砥鹿神社が三河一宮だと知った。猿投山(こちらも投稿未了)の猿投神社も三河三宮だと知る。


改めて思い起こすと、

・尾張一宮って駅

・神奈川県にも二宮って駅

・神戸の主要ターミナルは三宮

って有名だし、四宮を調べてみると京都市山科区に四宮駅が見つかった。諸国の一宮や二宮について以下のサイトを見つけたので、ご参考まで。

 

 

であれば遠州地方の一宮ってどこに置かれていたんだろう? ネット検索してみた。それが小國神社だったのだ。

 

天竜浜名湖鉄道(二俣線)の遠江一宮駅は遠州森町にあり、駅前は至って静かだ。

 

<遠江一宮駅、太平洋戦争中の石碑>

 

 

そこから延々と北西方向に向けて舗装道路を歩いて行く。舗装道路はどうも苦手だ。なんとなく歩く姿はダラけているんじゃないか。

 

<茶畑、茶店のオブジェ>

 

 

第二東名を越えた辺りで、低山が周りを囲んできたので、いよいよ近そうだ。2020年春先に歩いた粟ケ岳や大尾山(いずれも掛川)も隣接するここ森町も茶所で茶畑が広がっている。田畑の周囲で何件か茶店も営業している。

 

<「真田乃杜」の旗、真田城>

 

 

その手前に六文銭をデザインした「真田の杜」って旗が立っていた。そんな飲食店が営業しているみたい。まさかあの信州の真田一族がこの界隈に進出しているのもオカシイなと思ったのだが、道路の右手にこんもりした丘があって、立て看板には「真田城」があったと往時の出来事を伝えてくれていた。一宮が置かれていたくらいだから律令時代には中心地だったのだろうけど、戦国時代の遺構も森町にあったのだ。

 

読んでみると、どうやら今川氏が衰えた後で、遠州地方は三河の徳川氏と甲斐の武田氏がそれぞれ侵攻してきた。三方ヶ原の合戦の前にこの地に武田方の真田氏がここに城を築いたのだとか。当時は山城であって、立派な城郭があった訳ではないだろう。確かにここから南方は平野が続いており、敵方を監視するのに適している。