はて、飯田の街もそんなに賑わいがなさそうだ。これは日本のどんな地方都市に足を踏み入れた時にも感じる想いであって、とりわけ飯田で感じたものではない。日本海庄屋とか全国ブランドの居酒屋が駅前に何軒か並んでいたのも、よくある光景だ。
<リンゴ柄のマンホール、駅前大通りのオブジェ>
この日は温泉を浴びて、市内観光した。ホントは往復5時間で風越山までヤマ歩きしたかったけど、足の怪我があったので今回はとにかく街歩きでガマンするしかなかった。市内観光って毎度それほどの発見も得られなくてご無沙汰しているけど、ここ飯田は当たりだった。その様子を今回と次回でザックリと紹介する。
<くつわ小路は戦後の風景、砂払温泉>
ゆっくり市街地を一周すると、かなり歴史のある街だと判る。最初に目に付いたのが小野田セメントの看板だ。
<レトロな小野田セメント商標、謎のお店>
小野田セメントはもう10年以上前に秩父セメントと合併して秩父小野田になり、その後ライバルの日本セメントと合併して太平洋セメントになった。なので、小野田セメントの商標がまだ残っている事そのものが珍しい。しかも、龍のマークをリアルに見たのは初めてだった。木造板張りの外壁に何枚もそんなレトロなプレートが掛かっていた。まだ、現役で使われている店舗なのがまた嬉しい。
セメント業界では「生コン(日セメ系)」と「レミコン(小野田系)」って言葉がある。どちらも英語のレアミディアム・コンクリートを日本語訳したものだけど、一般受けしているのは生コンであって、語感も抜群にセンス良いと思う。そんなのを某業界新聞の「日本セメント百年史」の連載記事で読んだ事があった。
<裏界線、なまこ壁>
裏界線って仕組みも初めて知った。かつて飯田の街で大火があったため、市街地の裏通りで建物どうしの間隔を2m以上空けておくように取り決めたのだとか。こうした工夫で延焼を防げるのであれば大したもの。そんな細い路地を歩いてみると、古い建物に混じって所々になまこ壁の古い蔵が混ざっていてなんとも味があるのだ。
<元善光寺の魔除け札、マムシ坂>
この魔除け札は木造家屋の玄関先に貼ってあった。このデザイン、和風と言うよりもむしろ洋風な趣があって意外だった。そもそも元善光寺って長野市のそれとどんな関係があるんだろうか。
飯田市街の地形はなかなかユニークだ。丘の上にあって、東に向けて斜面になっている。その斜面が一様に下っているのではなく、鍋倉山(長野県北部の飯山市)みたく真ん中が抉れていてその両枠が斜面になっているのだ。こう書いてもなかなか伝わりにくい。で、裏界線を通って眼鏡橋の脇の階段を降りて中央公園を縦断して、マムシ坂を下って行く。ようやく天竜川まで辿れるほど飯田の街は狭くはないんだと納得させて、反対側に登り返していく事にした。