コロナ疎開下で読んでいた内田樹「日本辺境論」で、ブリコルールって言葉が出てきた。ブリコルールは先駆的(アプリオリ)な知を獲得している人の事だと言う。そんな流れでこの本を読む事にした。 

古い新書本なので書店に在庫がなかった。中身をチェックできないままやむなく注文したので、購入して直ぐに後悔した。とにかく、この本を読み始めるとよく眠れる。私にとってはあまりに難解で、1ページと読まずに眠りこけた事がたびたびあった。


それと、デリタもラカンも知らない素人が構造主義に関する本を読むのはあからさまに無茶だった。頭の整理も兼ねて、少しだけ素人頭の片隅に引っ掛かった事を掘り起こして書いてみる。 

(1)野生の知とプリコルール 
この本では西洋的な知と野生の知を対比して書いていた。前者は西洋人の歴史の結果として成熟した今の形が完成したものであり、後者は西洋の観念に絡め取られる類のものではなくもっと普遍的なものだと言う。別の言葉だと、前者をエンジニア(全体的な計画に沿って一義的に定義していける存在)と形容していた。それに対する後者のkey-wordがプリコルールで、断片的だけど人間性ある厚みで解を導けるものとして書かれていた。 

他にもこの2つを対比する言葉がいくつも登場した。 
前者: 概念、熱い社会、国家へと向かう社会、文明が歴史を内在化 
後者: 記号、冷たい社会、国家に抗する社会、純粋歴史


確かにルネッサンス以降にイスラム世界から世界の覇権を奪い取った西洋の考え方が科学や哲学の分野で進化したかも知れないけど、
その枠内で何でも理屈付けて落とし込むのは違うと思う。 


後者を地質学的な地層の断面を見るようなもので、戦争や疫病や移住もやり過ごして構造に吸収する事で歴史をなくそうとする社会ってのはハッキリと理解できなかった。ただ、過日NHKで「イゾラド」の映像を見て衝撃を受けたけど、彼らの生き方が何千年も続いてきたのも事実だしそれを文明側に絡め取ろうってのは違和感ありありだったので、野生の知??


ただ、もうちょっとプリコラージュに関して具体的な説明があると理解しやすかったかも。 

(2)構造主義 
また、構造主義は変換を伴うものだと言う。関数とか明確なルールって事なのか。ここがどこまで理解できたか甚だ疑問だけど、以下の2つは判りやすかった。


当時フランスの数学界にはブルバギ(個人ではなく集団)がいたけど、彼らの影響を受けていたとか。なので、2種族間での婚姻ルールを紐解く時に、クラインの四元群が登場していた。もう1点、魚の構造を形態学的に示した絵(※1)が挿入されていて、何種類かの変換を介する事でいろいろな魚の共通点を視覚的に示してくれていた。これはちょっと驚きだ。 
※1 p.55ダーシー・トムソンの魚の座標変換 

(3)神話をプリコラージュ 
アメリカ大陸の原住民に伝わる神話の章も難解だった。神話を構造と変換って言葉で読み解くといいのだろうけど、ここも軽く流した。神話の類似性には驚くと共に、夢でいろいろと現実と交錯した様が現れるけど案外それと似ているな、と思った。 

ただ、西洋的に話の結論を導くだけが唯一の正解でなく、野生の知のあり方を寛容に認めているのが良かった。確かに、二項対立そのものを解決するだけでなく、縮約したり媒介するのもものの理解の仕方としてあり得るのだろう。縮約と媒介の説明は省略するけど、天と地があった場合に前者は崖と地面の対比に置き換えてみる事だとか。後者であれば、水や雨を導入する事だとか。


(4)あとはもう降参 
以下はkey-wordのみメモして終わり。 
・隠喩ー自然と人間との類似性ーex.白雪って名前 
・換喩ー人間どうしの隣接性ーex.赤頭巾って呼称 
・神話: 過剰な接近→過剰な分離→媒介されたほどよい距離