登山日: 2021.1.下旬

人出: 僅か1名

行程:竜ケ岩洞入口バス停(11:10)→登山口(11:55)→竜ケ石山(12:15)→伊平西峠(12:50)→背山峠(13:10)→尾沢バス停(13:50)

 

この日は遠鉄バスの竜ケ岩洞入口バス停からstartした。このバスは浜松駅から奥山まで走っている路線で終点にかなり近い所だ。このバス停の少し前に、NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の舞台となった井伊谷を通過している。きっと大河ドラマ放送当時は凄い人出だったのだろうけど、今では閑散としている。

 

<柑橘類、竜ケ岩洞入口バス停>

 

 

竜ケ岩洞(りゅうがしどう)は鍾乳洞で有名らしいが訪れた事はない。先日、天浜線・気賀駅から尉ケ峰に登った時、途中の二三月峠で地元の方から「竜ケ岩洞と竜ケ石山がすぐ傍に見えるヨ」と教えて貰った。なので、そんな繋がりで竜ケ石山に出掛けてみたのだ。(1月下旬には)愛知県に緊急事態宣言が出ているし、どうせ歩くなら三河より遠州の方が少しでも安全だ。

 

ホントなら竜ケ岩洞に寄ってみたかったけど既に11時を回っていたので先を急ぎたい。舗装道路にコンクリート敷の林道を上がって行く。マムシグサの葉なのか、葉っぱが渦を描くように揺れるのがちょっと不気味だ。と言うのも春先に咲く花はウツボカズラみたいだったし、秋の赤い実も毒々しい塊で付いているためだ。ただ、この実は別の植物のモノかも。緑色のベンチを2つくらい通過したけどまだ林道が続く。

 

<緑のベンチ、赤い実>

 

 

いつまでこんなコンクリート道を登るんだろうと思っていたら、ようやく登山口の看板を見つける。土道を登って30分で山頂だと言う。これはチト楽過ぎるなあ。途中、森の中にカルスト地形の場所があった。山口県の秋吉台が有名だけどあんな視界の開けた場所ではない。でも、森の中に角ばった石が50~100くらい並んでいた。「条溝カレン(溶食条溝)」と書かれた看板を発見。それらの石は波状にえぐれていた。山口県にはまだ足を踏み入れた事がないけど、秋吉台は秋吉洞とセットだと思う。ここもこの小さなカルスト台地の下に竜ケ岩洞が広がっている訳だ。

 

<カルスト台地なのか(2)>

 

 

程なくして、標高359.1mの山頂に到着。三国一(3591)の語呂と山頂の眺望、どちらもいい。ススキの穂の向こうにJR浜松駅前のアクトタワーもかすかに見えるし、細江から今切方面に伸びる浜名湖と太平洋も眩しく輝いていた。ビールケースを10個くらい組み合わせたような踏み台があり、東北の方角に富士山が見えるらしいが、生憎そこまで空気が澄んでいないようだ。山頂の碑の上に木箱があった。開けてみると登山ノートがしまってあった。直近で「54才のオジサン」なんて署名も書かれていた。山小屋ならともかく、山頂にノートなんて珍しいし、折角なので「5x才の若者」と書いておいた。

 

<山頂(2)>

 

 

さて、このままピストンで下山する予定だったがあまりに呆気なかったので、急遽予定を変更。2.7kmで奥山・背山(うしろやま)って看板を信じて直進していった。奥山は奥山方広寺・半僧坊で有名な場所だ。尾根筋とは言ってもこの標高では眺望はない。低山は登りやすいけど、誰にも出会わないと偶に不安に駆られる。そんなトレイルを延々歩いて、伊平峠や背山峠などほぼflatな峠をいくつも超えてようやく奥山の交差点に至る。

 

浜松市は平成の合併でドンと大きくなった。この日歩いたのは浜松市北区だがかつては引佐郡引佐町、この前歩いた尉ケ峰は引佐郡細江町だった。街が大きくなるのはいい事だろうけど人口は偏っている。過疎地にとっては余計なものを背負わされないか心配になる。事実、ヤマを越えた奥山付近では「ゴミ処理場建設反対」の看板をいくつも見掛けた。まさかそんな理由で浜松市を大きくした訳でもないだろうけど、区政変更案とか部外者からするとおかしな議論が出ているようだ。

 

<背山峠、尾沢バス停>

 
 

交差点から新城方面に進むと、ようやく向こうから歩いてくる人に出会った。マスクしてトレッキング・ポールを突いている年配の女性だった。聞けば奥山半僧坊は「この道じゃない。あと20分以上は掛かるヨ」。これ以上は舗装道路を歩く気はないので断念。次回の旅に委ねよう。そう、次は奥山から富幕山(静岡県と愛知県の県境)まで登る気満々なのだ。次回を以って奥浜名湖・引佐郡(現在は合併して浜松市の一部)の低山をだいたい制覇できるんじゃないか。

 

【2023.2.22訂正】先日、富幕山に登って県道から遠回りして尾沢バス停に到着した。改めて気付いたのだが、竜ケ岩洞と竜ケ石山では漢字が違うんだと知った。前者は「岩」、後者は「石」。その文字のみ正しいものに変更した。