まず、この本に載っているサハラ砂漠の写真が綺麗だ。砂漠の中にあってトアレグ族の青い衣装も見事に映えている。
果てしなく続くサハラ砂漠だが、かつて海だったし植物が茂っていた時代もあったと言う。その名残が砂漠の下に眠る塩の鉱石であり、ラクダのエサとなる植物なのだと言う。あと、サハラ砂漠は砂丘が大半だと思っていたけど、それは10%程度であって岩砂漠の方が多いというのは意外だった。
<表紙>
私も数年前にモロッコのメルズーカ砂漠をちょっとだけ歩いた事がある。いろいろな砂漠をvisitした後だったためか、自分の気持ちがサラリーマンで疲れていたためか単調な色に見えたのが残念だった。自分にとっては、どうしてもナミブ砂漠(ナミビア)とかレンソイス(ブラジル)ほどの強烈なimpactが感じられなかった。でも、著者が撮る砂丘の色はいろいろある。灰色っぽいのもオレンジ色に輝いているもの全部本物のサハラなんだろう。たしかにアザライの旅に40日も同行した筆者だからこそ撮れたショットなんだと思う。本のタイトルにも「visual版」と付いているけど、砂漠好きには先ず写真のページをパラパラめくってみるだけでも嬉しくなる。砂漠の星空の写真も載っているけど、こうした写真を見ていると岩砂漠のワディ・ラム(ヨルダン)でテント泊した夜の静寂を想起した。
この本に出会ったのは、西アフリカ・マリに関する本を探している途中だった。自分もリアルに辿った道なので、冒頭のバマコからモプティへの旅は自分事として楽しく読んだ。ただ、この本の舞台はもっと西側のトンブクトゥ発、タニウデ鉱山までの往復40日間のキャラバン旅。塩を切り出して、板状の塩をラクダの背に積んでいくアザライの旅に著者が同行するものだった。自分にはとても真似できない想像を絶するキャラバンだ。もし食料や水が尽きるとか、ラクダが動かなくなったらそれこそ死ぬしかないサバイバルな行軍だ。しかも著者はこの旅の途中で60才の誕生日を迎えたと言うので、なんともtoughな人物だ。
ガイドとして雇ったアジィとアブドラと3人で旅が始まる。途中でアザライのキャラバンと合流して鉱山に向けて、ジリジリと歩を進めていく。馴れたアザライになると、疲れを取るために半ば眠りながら日中にラクダを乗りこなしているのが凄い。それと、トアレグ族とアラブ系ベラビッシュ族の歴史上の争いが現代まで彼らの記憶と本能にしっかりと刻み付けられていた事に驚かされる。また、アラブ系民族がかつて黒人を奴隷にしていた事も初めて知った。そうなるとマリ共和国の逆L字を描いた国境線の中に黒人とそれ北部エリアの住民との間でも対立が潜んでいるのだと判ってくる。
アザライ達も塩の鉱山で働く者たちも、何故ここまでして過酷な環境の中で敢えて働かなくてはいけないのかと思った。恥ずかしながら、それが平和な日本でのうのうと生きている自分の感覚だった。砂漠に住まなくても、もっと住みやすい場所に移住すればいいのではないか、と安易に考えてしまう。それはどうしてもアルベール・カミユの「シシューポスの神話」に重苦しく書かれていたような、重荷を押してずっと登り坂を上がって行くような生き方に見えてしまう。確かに、他の選択肢を知らなければ親と同じ生き方を選ぶし、それから解放された欧米先進国の人が生涯に亘ってずっと都会で暮らしていけるのか確証はないし、一概に是非を論じる訳にもいかない。
著者は写真家としていろいろな機材を持っているため、その姿から「アルカイダみたいだ」とからかわれている。ただ、実際には自分達だって襲撃・拉致される危険の中で旅した訳でその緊張感たるや如何ばかりか。単純に面白くて笑える旅行記ではないけど、誰にも真似できない重厚な旅の記録だ。
以下は備忘メモ:
・サハラの湿潤期に降った雨水が化石水として溜まっており、オアシスではそれを飲める
・砂漠の中から古代のヤジリが見つかる
・塩を意味するsaltが語源となって、salaryとかsoldierって単語が生まれた
・塩の板を運ぶ報酬はかなりの高率。4枚運べば3枚が取り分になる
・塩の板があまりにも重いと、ラクダが号泣する
・アフリカで日本人がどう見られているか、筆者の所感