東京の住宅街には緑に囲まれた遊歩道がある。春に桜並木で花見ができるような場所もあれば、住宅の裏側ばかりが続いて単調な通りもある。 

 

私が上京して初めに住んだ阿佐ヶ谷もそんな街だった。まあ、車道と違って車は通らないし、歩行者にとってはありがたいもの。昔から、こんな感じになっていたのかと勘違いしてしまう。

 

<遊歩道>

 

でも、遊歩道はその殆どが川を地下に覆い隠してしまった結果なんだと思う。ただ表側しか見えないために、ついその下に川の水が流れている事を忘れてしまう。

 

つい先日、見つけた遊歩道もそんな感じだった。最初は緑に囲まれていい遊歩道だし、この暑い時に歩くのは丁度いいと思っていた。5分くらい歩くと、遊歩道が終わりになっていて、その先は川が表に出ていた。それでようやく、ああここも暗渠だったのかと知った。

 

<遊歩道の終わりに川が覗く>

 

だいたい、暗渠(あんきょ)なんて漢字も書けないし言葉も知らなかった。2011年の福島原発事故の後に、誰かが3.11大震災を語っていた本の中に「原発も暗渠も似たようなもの。人間生活に不可欠なものを見えないようにしているけどでもそれって隠しているだけでしょ」って論調だった。確か橘玲だったと思う。

 

<川のすぐ傍>

 

確かに、知ろうとしなくては知れない、暗渠も隠してしまえば誰の目にも触れないので見る由もない。遊歩道はありがたいけど、でもやっぱりopenがいいでしょと思うのだ。

<コンクリートで両側を固められた川>

 

それに、このコンクリの護岸工事は不思議。川のすぐ横に遊歩道は続いているけど、なんとなく想像するに、本当はもっと広い川だったんじゃないか。それを遊歩道を作るために川を片方に押し込んでコンクリートで締め上げたんじゃないかと不自然な感じを受けた。