近藤誠の著書は発売当時に読んでいた。ずっと前だけど、確か1990年代の半ばではないか。なので、がんもどき理論は知っていた。海外での対比実験の結果が丁寧に説明されていたし、薬物療法がヒトの正常細胞も傷付けてしまう以上、放置路線の選択も十分に納得できるものだった。立花隆のその手の本も読んでいた。彼は脳死の本も書いていたし、Caは人体の老化現象だって説をそのまま興味深く読んだ。いずれも尤もだと思った。
でも、自分自身の事だとセカンドオピニオンを求めるとか、放置して様子をみるとか思いつかなかったのは不思議と言えば不思議。放置路線はなかったのか? 仕事だったらいつもPros/Consとか表に整理して慎重に考えをまとめるのに、あの時はほぼ即断即決に近かった。
半年くらい放置した後で再検査すれば、案外とポリープはすっかり消えていた可能性だってある。今となってみれば視野狭窄だったのかも知れない。でも、その時には自分で納得して決めたのでそれで良かったのだと思う。
事前にいろいろと質問事項を挙げつらっておいて、消化器内科の外来診察でその紙を見ながら質問していった。20項目くらい訊いたと思う。Doctorも丁寧にその問に答えてくれた。他にも、ネットで大腸Caの情報を収集した。鹿児島大学かどこかの論文を偶々みつけて、素人ながらに読んでみた。600分の1って数字は限りなく無罪なのだし、実質シロでしょと思った。あと5年とか10年すれば、おそらく私みたいなケースはオペ不要って判断されるだろうな、と思った。
事実、外科手術で摘った部分からnegativeなモノは全く検出されなかった。要するに全くシロだった。勿論結果論だけど、グレイな状態でモヤモヤをずっと抱え続けているより良かったのだと肯首した。
まあ余談だけど、標準治療って言葉は紛らわしいと感じた。語感が悪い。英語を直訳したものかも知れないが、これだとbestな治療って印象が湧かないのだ。Evidenceを基にして既にコンセンサスを得た治療法って意味なんだろうけど、並みの治療って受取ってしまうのが欠点なのだ。