インドに行くと人生観が変わるって言う。私も20世紀の終わり頃にインドを彷徨っている。ベナレス(バナラシ)のガンガーで沐浴したし、デリーやムンバイの汚い街中で「お茶飲もう」とか「地方に行くならカシミールがいいぞ」とかいろいろな勧誘を受けた。ムンバイの痺れるようなドライカレーは美味しかったけど、あの人ごみの中で揉まれても私の人生観は何も変わらなかった。

 

けど、私の場合、この外科手術で明らかに変わった事がある。そう、痛くて痛くて堪らなかった時、とにかく緑の中に行きたいと思った。このままじゃいけないと痛感したのだ。だいたいの事は喉元過ぎれば熱さを忘れるもの。でもこの時ばかりは明らかに変わった。痛みは自分の生活styleを変えさせるだけの強烈なimpactをもたらしてくれたって事だ。

 

5月の終わり頃、オペから1ケ月経過しても未だ腹部に未だ軽い痛みがあった。でも、何かに押されるようにやっぱり緑の中に行く事にしたのだ。ハイキングの本をひっくり返してラクそうな山を見つけた。湯ノ丸山か入笠山がよさそうだった。いずれも長野県の山だ。

 

で、入笠山へ出掛けた。ここはゴンドラで標高1700mくらいまで上がれる。とてもザックを背負う気力はなかったので、軽いナップサックに留めた。カメラを持っていくのも面倒に思えたので、本当に身軽な山行に留めたのだ。山頂まで一時間、下りで一時間、大した時間ではなかったが、傘を杖代わりにして登った。あまりに力を入れて傘を握りしめていたので、傘の柄が軽くしなってしまったくらいだ。必死だったので、山頂に着いても景色が綺麗だとかそんな事を思う余裕はなかった。尚、入笠山は2013年まで必ず毎年1回は訪れていた。

 

【参考】今年の正月に6度目の入笠山登山

https://ameblo.jp/cx0293/entry-12441815239.html

 

翌月、20096月に飯盛山へ登った。野辺山駅から歩いて、清里駅に降りるコースだ。JR東日本の「駅からハイク」でハイキングコースが設定されていてそれに参加したのだ。この時はもう腹部の痛みも癒えていたので、山頂の景色に素直に感動した。延々と緑の起伏が続いていて、レンゲツツジのorange色も鮮やかだった。あの頃はまだ八ヶ岳がどのヤマなのかも判らなかったけど、ヤマ歩きっていいなあ、と思えた。

 

そこから丸10年ずっとヤマ登りが続いている。毎月1回はノルマにしているし、夏場など月2回も出掛ける事もある。ノルマと言っても決してイヤイヤ出掛けている訳ではない。最初は何かに憑かれたように毎月登っていたし、それが生活の一部になった。季節によって登るヤマを選ぶ楽しみも判ってきた。花の名前も少しずつ覚えてきた。海外でもNZやネパール、カナダで登ってみたし、去年は会社を辞めたので7月のスイス・アルプスをゆっくり歩く事もできた。冬山なんて未知の世界だったけど、スノーシューやアイゼンで登る愉しみを知った。

 

正直に言えば膝を怪我してどうしても歩けなかった月が1度だけあったけど、それはそれで会社近くのweekly_mansionguesthouseを転々と泊まって都内(港区や千代田区)を旅行したようなものだと自分を納得させる事ができた。

 

お蔭で会社と家の単純往復だった乾いたサラリーマン生活が、オペをきっかけに充実した週末に180度変化したのは紛れもない事実だった。休日出勤も殆どしなくなった。週末に出歩く事はきっと体にもいい影響を及ぼしたんじゃないかと思う。10年でザックリ120山、まあ無事に10才を迎えられた事を周囲に感謝です。