軽躁状態の私は入院後に鳥取から大阪の病院に転院することになり、わずか3週間で退院することになりました。
それから2週間後に大阪の病院に受診することになりました。
私は復職する気でいました。
しかし大阪の病院で言い渡されたのは、軽躁状態があるため自宅療養を告げられました。
会社に戻りたい。
私には開発業に行く使命感がありました。
思いとは裏腹に自宅療養する運びになりました。
それからと言うもの1ヶ月間は眠ることはできずに、自分の殻に閉じこもり、寝たきりの生活を送りました。
その状態を見ている父が痺れを切らして自分の働き先の取締役に事情を説明し、私を連れ出してアルバイトという形で日雇い仕事をすることになります。
何かしないと落ち着かない性格だった私は、頭は回らないものの体を動かして良い気分転換になったと振り返ります。
そこでは仕事と言うよりは時間との戦いでした。
時計を見るたびに5分しか進んでいないこと、お昼休憩にはお弁当を食べて目を閉じる時間が唯一の楽しみでした。
休みの時間は頭を整理する時間に費やしました。
8ヶ月の月日が流れ、私の本職である職場から時短勤務を勧められることになりました。
既に開発の仕事や、鳥取の業務からは外されて、事務的な仕事をすることになっていました。
金融業界のフィールドサービスに携わっていましたが、警察関係の事務的なバックアップをすることになりました。
初めての仕事で間接的な業務は私には合わず、そこでも時間との戦いでした。
やらされ仕事をしている無口で陰気な私に同僚は話しかけることはありません。
そんな私に転機がやってきたのが11月17日幼馴染の誕生日でした。
彼は20歳の若さに小腸の病で亡くなっています。
当時、私は彼の誕生日をはっきり覚えていた訳ではありません。ですが誰に言われた訳でもなく、導かれたように彼の実家にお線香を上げに行きました。
すると彼の遺影と誕生日ケーキがありました。
写真の彼の表情は苦笑いでした。
死を宣告されて笑顔で撮影されることはこの世で一番難しい事だと思います。
しかし彼は笑って魅せたのです。
苦しい笑顔ですが口角を上げて白い歯を見せて笑っていました。
私はその笑顔に惹きつけられました。
人間人それぞれ背をっている事柄がありますが、笑うと言うことは人を惹きつける力があります。
その後、彼の母親に事情を説明し、彼の分のケーキを頂きました。
そのケーキを食べながら私は自然と笑顔になりました。
美味しい。
食べる事ができる事に感謝しました。
それから私は作り笑いするようになりました。
いつのときでも笑顔で過ごして魅せました。
憂鬱な気分が続く中、日報では今日の気分を記入するよう指示がありましたので、私は全て中以上に丸をして嘘の報告をし続けました。
うつの自分を偽り、早く第一線で仕事したい一心で会社と自分に嘘をつき続けました。
それが良かったのか悪かったのか未だにわかりませんが、私は週に二回現場に出るチャンスを得ることができました。
うつ状態でも周りにうつだと思われない事はお勧めはしませんが、社会人であることフルタイムで勤務することに意欲がある方は医師ではなく、自分の意志と相談してみてください。
自分はどうなりたいのか、頭がいっぱいでここじゃないどこかに逃げたくなる毎日ですが、私は毎日笑顔で一生懸命に過ごしていたらチャンスがやってきました。
私は現場仕事と内勤の二足の草鞋で他の誰もやっていない事をし、自分の働くフィールドを広げ、ポジションを確立していきました。
人に必要とされたり、感謝される事で嬉しさを感じる私にとって自分の居場所は自分でしか創れないと思います。
笑顔は魔力で魔法の様な力があると思います。
苦笑いでも笑うことは人を惹きつける力があると私は思います。