(このなつも なにごともなく にじょうじょう)
南側にある東西の隅櫓が、お城らしい姿を残しています。
現在の正式名称は、「元離宮二条城」です。
築城したのは、関ヶ原の戦いで勝利した、徳川家康です。
防御上、上から石を落して軍の侵入を防げます。
さすがに、大勢の番人が詰められそうな規模です。
東大手門と東南隅櫓。
仁和寺・真如堂・今熊野観音寺では、本堂の屋根にやはります。
北野天満宮では、此処と同じく蟇股に彫刻されています。
無敵の獅子ですが、唯一苦手なのが、獅子身中の虫です。
この虫は、牡丹の露で死に絶えるので、
獅子は牡丹の下が安住の場所です。
という訳で、獅子と牡丹が取り合わせです。
竹と虎の場合は、虎も無敵ですが、苦手なのは象の群です。
さすがの虎も、何頭もの象が迫ってくれば逃げ出します。
竹林は、象も牙を傷めたくないので突っ込んで来ません。
虎にとって竹林は安全な場所という訳です。
家康の造営時の建物で国宝です。
家光が天皇を招くのに造営した建物です。
のちに仙洞御所に移築されました。
作事奉行は小堀遠州です。
二条城は、徳川将軍家にとって政治的な役割りを担ってきました。
慶長20年(1615年)「禁中並公家諸法度」が二条城において公布されました。
江戸幕府は、1603年〜1867年、264年間、平和な時代を維持します。