(かねのねが とだえぬれつや ぼんやすみ)
琵琶湖南端の瀬田川が見えます。
湖水の出口の瀬田川は、勢多川とも書かれ
淀川、宇治川の本流です。
流水量日本一の淀川は、琵琶湖の水➕木津川、桂川ですので
さもありなんですネ。
瀬田川、宇治川は平安京の防衛線の役をしていました。
織田信長の比叡山焼き討ちの時の、犠牲者の供養塔です。
大きな力を持っていた比叡山延暦寺を、攻め上がるなんて、
信長という人は、天才と狂気が同居していたのでしょうかネ!
琵琶湖側が正面ですね。
諸堂は、殆んど東向きか南向きです。
大講堂は、昭和39年に坂本の讃仏堂を移築してきました。
「萬拝堂」は、日本全国の神社仏閣の
諸仏諸菩薩諸天善神、さらに世界の神々が祀られていて、
人類の平安を祈願しています。
大黒天・毘沙門天・弁財天が一体になった、
三面出世大黒天です。
幟に「山」のマーク、毘沙門堂でもありました。
仏教界では、御山(みやま)と言えば
比叡山を指していた時代があります。
以前は急な階段を登ってお詣りできのですが、上がれません。
「おほけなく うき世の民に おほふかな 我が立つ杣に 墨染の袖」
前大僧正慈円が法名で、諡号が慈鎮です。
法性寺関白藤原忠通を父に持ち、天台座主であり
「愚管抄」の作者です。
貴族が廃れ武士の時代になる荒んだ世に対し、
恐れ多い事だけど、仏法を持ってして民を安らかにしたいという
使命感を詠んだ和歌ですね。
「星峰稲荷大明神」は、六道の衆生を救う
荼枳尼天(辰狐王菩薩)(しんこおうぼさつ)が祀られています。
伝教大師童形像と伝教大師石像です。
最澄の俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)で、
坂本の生源寺が誕生地です。
台風7号の影響で、本日の比叡山観光のお客様はキャンセルでした。 (残念😢)