アタシも多くの世間様も、
アベ~自公政権の素性で符合する
ところがあって、
それは、これ。
チャウシスク政権化へ邁進。
なぜか?
(以下の引用で太文字はアタシが行ったものです。)
Wikipediaより ***引用開始
チャウシェスクは政権獲得当初こそ国民から高い支持を得ていた
ものの、
1980年代にはその人気は低下していった。
1989年頃になると、
チャウシェスクはもはやルーマニアの現状を受け入れる
ことすらままならなかった。
1980年代末、
一般市民がろくに商品が無い商店の前に長い行列
を作っている中、
チャウシェスクが商品でいっぱいの店に入り、
大量の食べ物を抱えて芸術祭を訪問する
対照的な姿が国営テレビで度々放映された。
食糧配給のための軍の派遣部隊は、
チャウシェスクが訪問する店へ先回りし品物を補充して
「チャウシェスク政権によって達成された高い生活水準」を演出
し、
またある時には、
チャウシェスクが訪問する農場に国中から手配した栄養十分の
畜牛を放ったりもした。
1989年当時、
ルーマニア国内のテレビでは「記録的豊作である」
と宣伝されたが、
当時の平均的なルーマニア国民が経験した窮乏
との落差・矛盾はどうやっても説明がつくものではなかった。
国民の中には、
国内の窮乏をチャウシェスクが知らないのではないかと考え、
チャウシェスクが各地を訪問する際に嘆願書や
不満を訴えた手紙を手渡す者もいた。
しかし
チャウシェスクは、それらの手紙を受け取ると、
それをすぐに秘密警察の人間に渡した。
これらの手紙をチャウシェスクが実際に読んだか
どうかは今なお不明だが、
いずれにしても
嘆願書を渡すことは非常にリスクが大きく、
国民は次第にそれを思いとどまるようになった。
チャウシェスクは、
ルーマニア経済の実情については側近から
良い報告しか受けておらず、
本当の国内事情を把握していなかったとされている。
このほかにもチャウシェスクは首都ブカレスト市内に
「国民の館」と呼ばれる巨大な宮殿を建設し、
党や国家の要職もチャウシェスクの家族・親族30人以上
が独占していた。
こうした一般庶民の生活を顧みない政治姿勢
に国民は失望し、人気も支持も低下していった。
1985年、
ソ連でミハイル・ゴルバチョフが推進するペレストロイカの影響
で東欧でも自由化・民主化の機運が高まると、
なおも個人独裁に固執するチャウシェスクは
国際社会で一層孤立することになった。
東西両陣営から欧州統合の障害とみなされ、
第二次大戦後初となるGCBの剥奪にまで至っている。
Wikipediaより ***引用終了
さて、アベ自公政権との比較を上記太文字の
箇所で行ってみますね。
●記録的豊作という宣伝
自公政権:記録的好景気継続というマスコミの捏造報道
アタシたち国民の窮乏との落差・矛盾は全く同様
ですね。
●党や国家の要職もチャウシェスクの家族・親族30人以上
が独占していた。
自公政権:本日認可されようとしている、国民の税金盗用
の加計学園獣医学部
家族・親族、側近による私物化ですね。
まして、韓国から学生を募集するなど国賊ものです。
そう言えば、
チャウシェスクの婦人も国政に直接関与して
国内に大混乱の種を蒔いたのですが、
アベ~の婦人、これも相当の悪で、
森友問題の国会証人喚問を逃げまくっています。
人事権を内閣に集中することにより、
三権分立 → 三権集中 の独裁気取り。
裁判所に提訴しても、
政権の言いなりのヒラメ裁判官は
内閣ベッタリの判決どころか、
門前払いばかり。
さて、アべ自公のチャウシェスク政権と
違うところは、
隷米属国政権であることで、
ドル防衛のために、
ドル買い、円売りの送金ポンプ
であることです。
沈み行く、
守旧派米国陣営という黒幕
(グローバリスト、新自由主義者)
の最後の牙城日本。
しかし、
ベトナムでのAPECに参加するトランプ大統領
は、
中国訪問で習金平主席に引き続き、
ロシアのプーチン大統領と会談です。
まさしく、
こういうことが急速に進展しているのです。
さて、トランプの訪日は
いったい何だったんでしょうか?
ズバリ、
日本の利権の横取り!!!
ってところです。
武器を買わされたり、
金を分取られたり、
貿易不均衡の悪態をつかれたり、
言いたい放題ですよ。
こういう点では、
トランプも日本など属国程度という
認識には違いないのです。
結局、
アベ自公の独裁気取りが、
日本の未曾有の危機をもたらして
いて、
すでに、
”明日の飯が切実な不安になってきた”
日本国民の堪忍袋の緒がきれる寸前!
です。
さて、
アベ~夫妻はその時、海外に逃亡する
のでしょうか?


