魂とは?
この世に生まれたのは、
魂の修養だという見解が
あります。
物理的次元のこの世で
しか修養はできないという
のです。
未熟な魂は、だから何回も、
成長するために生まれ変わる
のだと。
輪廻転生。
多い場合は何百回も・・・・
これを非科学的として、
観念論で片付けられるでしょうか?
科学的とは物理的なこの世の側面
で、別の次元であれば、その世界の
科学が成立するのだと思うのです。
ですから、広い宇宙とか、存在を
思うと、明確に真実と言えるものは
この世にあるのでしょうか?
こう考えて行くと、存在して
意識があるということに対し
人はもっと畏敬の念をもつべきだ
と思うのです。
謙虚になる!
いくら考えても、
存在も意識も本当に摩訶不思議で
す。
与えられた命は長くても100年ほど。
この期間で魂の修養をして、より高次元
の魂に成長していくことが、人間としての
生き方だと思うと、随分と宗教臭いものに
なってしまうでしょうか?
修養というのが宗教臭いのであれば、
志を高く生きる
ということならどうでしょう。
死ぬその日まで、力を抜かず生きる
というのが人の生き方としては極上
だと思います。
これっきりの人生、後は存在も意識
も消滅するなどと思い、享楽的にな
り、金の呪縛から逃れることができ
い囚われの身の不自由さに身を焦が
すのであれば、修養どこのろ騒ぎでは
ありません。
この世は
・修養する人、
・しない人、
・振り子のようにブレル人
がひしめき会っていると見ることも
出来るでしょう。
それは、ひょっとしたら修養のための
絶妙のバランスかもしれません。
善も、悪も豊富にあって、
その加減は、天が知る
ということだと・・
ですから、善の言い分、悪の言い分
があって、この調和の上にこの世は
進化していくのでしょう。
”アタシが絶対に正しい”
なんてことはこの世にはないと思う
のです。
魂が修養する・・・この世とは
なんとも、これまた不思議な世界
だと思うしだいです。
と・・・ブログ人は考えているので
すが。