今日も東京で仕事をしているのですが、
外気に触れるたび、じわじわと寒さが沁みる感じです。
いきなりコートやダウンを羽織るという季節に突入した感じで、
つい先日まで半袖で過ごしてきたこともあり、少しギャップを覚えます。
私の中での冬に向けたなんとなくの段階は、
上着を着る→マフラーを巻く→いよいよコート着用といったようなイメージなので、
今回スーツの上着しか持ってきませんでした(凍)
もうマフラーはもちろん、コートが必須ですね。
さて、突然ですが…
面接支援の現場を経験するたび、
いつまで経っても自己の反省を通して、
学びの深さや本質を追求する姿勢が大切だと実感します。
そうした経験が積み重なっているからこそ、
これまでも理論や専門家の知見に触れることで、
キャリア形成支援の質が高まることにもつながるのだと信じています。
一方、その質の向上、そこに偏りすぎるとみえなくなるものがあるのではないか…
そんな疑問を抱くこともあります。
これは今、大学院で調査・研究を自分で進めていく中で、
改めて、その「前のめりさ」に気づいたところから、
ますます気になり出し始めたことなのです。
本物志向、本質を追い求めることは、
専門家・支援者としての誇りでもあるのかもしれません。
いや、それを求めていく、目指していくことは、
人の支援を考えていく人として宿命・使命なのかなとも思います。
しかしながら、
その姿勢や思いが強くなればなるほど、
肝心の支援場面や物事への考え方等への柔軟さ、しなやかさ、
あたたかさが貧弱になっていく面もあるのかもしれません。
フォーマルな学びや著名な学識者の言葉ばかりを求めている場合、欲している場合、
自分自身の態度に、どこか敷居の高い雰囲気をまといがちだなぁと思うのです。
これって自分で気づいていないことが多い。
「本物の時間」を創造したい、追求したい、
提供していきたいとするその背景に、
単に自分のことばかりではないかと、ふと我にかえることがあります。
質が善いとされる学びやその関係者にばかりに意識が向いているということは、
結果として、キャリア形成支援を本当に必要としている人や、
まだまだ基礎的なスキルが安定しない未熟さを抱えながら頑張っているキャリア形成支援にに対して、
真に共感しようとしていく力が弱まってしまうことになるのではないかとも考えます。
世に存在しているもの全てが現実であり、本物であり、
質を高めるということは、それらをある程度バランスよく本当に許容できている状態が、
リラックスできている、しなやかな態度ではないかと考えます。
ある先生が「本当の時間を」というメッセージを発してくださってました。
私はその時、その言葉をきいて感激したものです。
そして私も確かにそのメッセージを熱く活用していました。
ただ、今、自分の中で違和感を覚えています。
対人支援は本来、本物とか本物でないとか、
本当の時間を過ごすだとか、
そういったことを言葉にすることではないのだと考えるようになりました。
※かくいう私は度々そうしたことを言葉にしてきました。
相手の人生観を理解しようとする姿勢として、
その感じや考え、その行動に寄り添う営みであるはずなのに、
例えば、知識や理論、かかわり、あり方の正しさらしいことばかりが前面に出てしまうと、
心の距離が広がってしまうように思います。
本来、そこに「遊び心」や「ズレみたいなもの」が必要だと考えます。
このように表現をすると軽さや不真面目さを連想するかもしれません。
ただ、ここで書いていることは柔軟さや余白、創造性を意味しているつもりです。
キャリア形成支援の場面で、相手の言葉に耳を傾けながら、
その人自身に合わせていくことを共に模索・調整していく過程。
理屈や理論などから離れ、
本来の素の感覚や状況に純粋に寄り添い理解しようと集中してみる試み。
そうした姿勢が、対話を醸成し、結果、支援として豊かに機能するのではないかと思います。
遊びは創造性を高め、
問題解決力を育む要素だとされています。
どこか「ピッタリとこないもの」があるからこそ、
複雑な難題を一つひとつクリアしていく要素だともいえます。
面接支援は予測不能で個別性の高いプロセスです。
だからこそ、
キャリアコンサルタントには「正しさ」だけでなく
「しなやかさ」が求められます。
事例指導セッションにおいても同じことがいえるはず。
事例相談者と共に振り返る場を共創できる
「1級キャリアコンサルティング技能士」を目指したいものです。
遊び心を持つことで、支援は教科書的なものから、
相手にとっても意味のある体験へと変わっていくこともあります。
もちろん「本質を学ばなくてよい」という話ではなく、
深い学びと柔軟な姿勢の両方が必要だと感じます。
本質を追い求めることも、遊び心を持つことも、
どちらも大切な価値があるのかもしれない、
大事なのは、そのバランスを自分なりに見つけることだと思うのです。
そして、見方を変えれば、こうした考え方自体も、
私の「とらわれ」なのかもしれません。
遊び心を持とうとすることに固執してしまえば、
それもまた不自由さを生みます。
「今、この瞬間何が大切なのか」
その問いを忘れずに、学びながら、
余白を味わいながら支援を続けていきたいもの。
この文章を読んでくださっている方の中には、
1級キャリアコンサルティング技能検定試験を控えている方が多いかと思います。
受検・試験対策の勉強をしていると、
どうしても「正解」を求める気持ちが強くなりますし、
学識者が言うことに傾倒したり、
説得力のある理論や知識を詰め込むことに意識が集中しがちです。
また、権威のある声の大きい先生のお話を聞き、
知らず知らずのうちに、そこに「正しさ」を求めていることもあるかもしれません。
でも、試験の先にあるのは最前線での現場支援です。
現場は正しさや知識でなく、目の前の人に合った柔軟さや遊び心が生きてきます。
時には肩の力を抜いて、
自分自身のキャリア観や人生を振り返る時間を取ってみることも、
試験受検に意味をもたらすと思います。
自ら見つけた心地の良い余白が、
試験にも、支援にも善き影響を与えるはず。
それが1級合格への道筋のひとつなのかもしれません。