今日は久しぶりに午前中ゆっくりと過ごすことができたので、

研修テーマをあれこれと考えるために、

大学の図書館でお借りした書籍を読んでいました。

 

そこには、これまで私が多くの先輩たちから学んできた考え等が記されており、

改めて、人の支援に携わるものとしての自覚やその基本は常に変わらないのだと感じます。

 

今回の記事では、その中でも特に大事にしているところを、

私なりに文字にして日記を書いてみたいと思います。

 

キャリアコンサルタントとしてクライエントに関わる際、

クライエントの語りを別の言葉に言い換えて伝え返すことがあります。

それはしばしば、クライエント自身が自分の経験や感情等をより明確に捉える手がかりとなり、

さらにキャリアコンサルタントに対して「わかってもらえている」という安心感につながることもあると思います。

 

一方で、キャリアコンサルタント側が「自分の解釈」をもとにその語りを再構成してしまうと、

それはクライエントの体験をキャリアコンサルタントの枠組みに引き寄せ、

「理解したつもり」になる危うさを孕みます。

「こういうことでしょうか?」と表現をまとめて提示すること、

これが知らず知らずのうちにキャリアコンサルタント側の自らの安心や承認欲求を満たす行為になっている…。

こうした自問自答は、キャリアコンサルタントが常に自らに投げかけておくべきものだと感じます。

 

本来、クライエントが用いる言葉には、その人固有の経験や意味が込められています。

ときに言葉にならない感情や、説明しきれない苦しみがにじんでいることもあるでしょう。

 

そうした語り、語れない感じに耳や心を傾けるとき、

キャリアコンサルタントがなすべきは、

「理解しました」と明示することではありません。

「こういう意味ですよね」と解釈することではないのです。

 

クライエントから語られた世界を、共に味わおうと、

丁寧に感じていくことではないでしょうか。

 

こうしたことを共感のひとつとするならば、

言葉の上で理解を伝える態度や姿勢ではなく、

クライエントの存在自体に向けられる心であり「わかりたい」という姿勢そのものです。

こうした心や姿勢があるからこそ、クライエントもまた、安心して自己を開示でき、

自分の中で新たな意味づけを見出し、言葉にしていくことができるのだと思います。

 

そしてこの「わかろうとする姿勢」というものはクライエント支援に限らないと思うのです。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定実技試験などでも、

こうした態度や姿勢の備わり具合が顕著にあらわれるといいます。

 

キャリアコンサルタント同士の関係性、ここでは事例指導の場面を取りあげます。

 

上記の要点は、事例指導セッションでも同じように求められるものだと考えています。

 

事例相談者が、自らの支援実践を振り返り、言語化しながら提示するそのプロセスには、

多くの葛藤や模索が込められていることでしょう。

そこに向き合う事例指導者が、指導的立場から「つまりこういうことですね」と早々に整理・解釈してしまうこと。これが度々観察されます。

 

すると、事例相談者の語りの可能性や学びの芽を摘んでしまう危険があります。

 

事例指導の本質とは、単なる指摘や助言ではなく、

事例相談者が自身の実践を深く捉え直し、自ら気づいていく過程を支えること。

そのためには、事例指導者自身が「わかろうとすることをやめない」姿勢を持ち続ける必要があります。

ここにもまた「共に味わおうとする理解」が求められているのだと信じています。

 

クライエント支援の現場でも、キャリア形成支援者同士の学びの場でも、

共通して大切なのは、形式的な理解ではなく2人の関係性の中で生まれる意味への共感であるように思います。

あえて言葉に頼らず「語られているそのまま」をともに味わおうとする姿勢を大切にしていきたい。
キャリアコンサルタントが心理的な支援者でもあるということと同時に、

学び続ける存在であることを忘れず、

「他者を理解しようとするとはどういうことか」を問い直し続けたいと改めて思うのです。