キャリアコンサルタント同士での学びの中で、
聴き手側(たとえば事例指導場面における事例指導者)の態度として、
相談相手を「無条件に受け容れる」姿勢の重要性が語られることがあります。
また「認める姿勢が大事だ」「受け容れる眼差し」という表現を耳にすることもあります。
確かに、こうした態度・姿勢は対人支援における基本であり、
関係性の基盤ともいえるものかもしれません。
けれども、このような語りがなされるとき、
その言葉を発している自分自身がすでにOne-Up的な態度になっているのではないか…
そんな違和感を覚えることがあります。
読者の皆様はいかがでしょうか。
「相手を受容する」という言い回しには、
無意識のうちに「受容する側/される側」という非対称な関係性が生まれてしまう…
この点に自分自身もまた無自覚に巻き込まれていることにふと気づくのです。
この記事では、キャリアコンサルタント同士が「他者の支援」について語るときに、
知らず知らずのうちに「上から目線」になってしまうような、
その構造的な傾きに注意を促したいと思っています。
こうした視点や感覚は日常では見過ごされがちですよね。
たとえば、
1級キャリアコンサルティング技能検定の実技論述問題に取り組む際にも、
こうした内省的な視点が重要になると感じています。
多くの場合、事例記録を読み解く際、
無意識のうちに「自分中心の見立て」に偏ってしまうことがあります。
設問において「あなたの見立て」と問われている場合、
事例指導者(受検者)として仮説を立てることは当然の作業です。
しかし、その仮説が他者理解にどのように拓かれているか、
事例相談者の内的な語りや背景に対してどれだけ理解を試みているか、
こうした視点を見落としがちではないでしょうか。
自らの経験や価値観、理論等に基づく解釈が先行しすぎると、
当の事例相談者が、
「この支援をどのように意味づけているか」
「どんなまなざしで支援に臨んでいるか」
への理解が置き去りになってしまうことがあります。
これが大切な問いであると考えています。
カウンセリング的なアプローチに立ち返ってみると、
「見立てる」という営みは、単なる評価(アセスメント)ではありません。
相手のまなざしと自分のまなざしを重ね合わせる行為であり、
共感や想像力、そして一歩引いた理解の姿勢が不可欠なのだと教えられてきました。
そのためには常に、
「私は何を前提に語っているのか」
「この仮説は、相手の語りや背景にどう拓かれているのか」
と問い続けることが求めらるはず。
1級の実技試験(論述・面接)で本質的に問われているのは、
単なる理論や技法の知識だけではありません。
こうした内省的な姿勢そのものなのかもしれません。
こうした思考行動特性を試されている部分もあるのかもしれません。
当然に試験である以上、
ある一定の構造や評価基準が存在するのは事実だと思います。
ですが、その中でもなお、どれだけ相手の立場を尊重した理解を目指せるか、
そこにこそ、キャリアコンサルタント同士での、
学びを通した成熟が問われているように感じます。
1級キャリアコンサルティング技能検定試験の受検を通し、
自ら考え抜くこと、そしてそれが本質を見極める力を養う貴重な学びの機会になるのだ、
ということを意識して、改めて基本的をみつめてみたいものです。