この週末は今年最後の大阪を味わってきました。
もっとも味わったとはいえ、
いつもの通りカレーライス、朝うどん、そしてお気に入りの立ち飲み屋さんで大阪風な焼きそばくらいですが…汗
毎月大阪に行っているのに変わらない食事というのも豊かさに欠けるように思いますが、
その全ては大阪に行かないと食べられない味わいばかりなので、
毎月私にとっての大阪における楽しみなのです。
余計なお話しになりましたが、
この土日の2日間、
大阪での1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座にご参加いただきました方、
どうもありがとうございました。
この1年間、お付き合いいただき心から感謝しております。
さて、これまで事例指導のロールプレイ演習を観察してきて、
改めて感じていることをひとつ取り上げてみたいと思います。
恐らく、読者の方にもフィットする点があるのではないかと想像しています。
1級の事例指導ロールプレイのシーン(恐らく実践においても同様)で、
「ここまでお話しをしてみて何か気づいた点はありますか?」
というような問いかけを事例指導者から事例相談者に対して行うことがあります。
事例相談者の立場からするとこのような問いかけを受けたとき、
なにを感じるでしょうか。
そりゃ…人それぞれ。。。
と表現してしまえばその通りでしょう。
さておき、認知的・心理的な側面から事例相談者の立場で考えてみたいと思います。
「何か気づきましたか?」
「何か気づいた点はありますか?」
という質問は抽象度が高く漠然としています。
つまり、
その質問に答えを出すのが難しいことがありますよね。
こうした問いかけは思考の活性を促すことを目的としているのかもしれません。
一方で答える側にとっては具体的に何を答えればよいのかが不明確です。
要するに、
認知的な負荷が高くなる可能性があり、
その結果「特に気づきません」と答えてしまうことがあるのだということを考えてみる必要があります。
そもそも事例指導者が事例相談者に何を質問していいのかわからなくなって、
なんとなくその場しのぎで「何か気づくことはありませんか?」
というようなことを質問しているとするならば、
これは残念なことだと思います。
さらに異なる視点からみてみると、
「気づく」というものは自分の思考や感情を客観的に捉える能力が関わります。
これはメタ認知といわれるわりと高次の機能でもあります。
当然にこのスキルには個人差があり、
ある程度訓練されていないと「気づき」そのものに対する認識が曖昧になりがちでしょう。
そのため「気づき」という言葉に対して心理的に身構えてしまい答えが出ないことがあるのです。
私自身も先生たちから「何か気づきましたか?」と問われるとしどろもどろになってしまう自分がいることがあります。
最後にこれが一番あり得ることなのかな…
と観察していて感じます。
それは事例指導者から質問された際、
その問いに込められた期待への抵抗です。
なんだか素直になりたくないのです。
「気づき」という言葉には
「何か特別な発見や洞察があるべきだ」
というニュアンスが含まれます。
事例相談者側に無意識のプレッシャーを与える場合があるのです。
これは昨日の講座でも説明いたしました。
この圧力のようなものが考えを妨げたり、
「特に気づきません」と防衛的に答えたくなる心理を生むことがあるのです。
このように考えてみるとひとは実に難しいですね。
私が難しく考えている傾向があるのかもしれませんが…苦笑
《ならどうすればいいんだよ?》
といった感情の声が飛んできそうです。
あくまでも一例として読んでいただけたら嬉しいです。
これは私が言葉選びを試すときに実際におこなっていることです。
「何か気づきましたか?」ではなく、
「今何を感じていますか?」という質問をしてみたことがあります。
この問いかけがお相手の思考や情動的な側面を理解しやすくなったという瞬間を感じることは多い。
つまり具体的で答えの範囲が狭いからなのです。
自分の感覚や思考を捉えやすく答えやすいと感じられるのだと思います。
「今何を感じていますか?」という質問は、
主観的で正解がなく自由に答えられるため抵抗感が少なく感じられるのかもしれません。
さらに思うことは、感情(感じていること)は自分の身体感覚や直感に近く、比較的アクセスしやすい情報となります。
「気づき」には感情だけでなく、分析や反省、意味づけなどの認知的なプロセスが求められるでしょう。
だからこそ「気づき」を問う質問は答えにくく感じられることがあるのかもしれません。
せっかく事例相談者に
「何か気づくことがありましたか?」
と質問しても、
「特にないです。」
「まぁ…特に変わらないですかね。」
と答えられたらしょげたくもなりますよね。
自分の首をしめつけてしまうような質問はもったいない気もします。
演習の際に実践的に考えてみる癖をつけておくと、
いざという時の感覚の幅をもてるかもしれませんね。