本日はマネジメントとメンタルヘルスについて研修を実施してまいりました。

先ほど研修が終了し只今福岡へ移動しております。


帰りの電車の車窓からこのような映像が飛び込んできたので、

ブログ記事にしておきたいと思います。

※中津駅にて。


「なかつ」と記された駅名標の真ん中下のイラストに注目です。


中津は福澤諭吉のふるさと。


今回の紙幣刷新で一万円札の肖像画デザインが変わりましたので、

今はまだ旧札が多く懐かしさを感じることはありませんが、

今後はこの駅名標に出会うたびになにかを感じるのではないかと想像しています…^ ^


さて、

今回のブログタイトルにしていることは以前から取り上げてまいりました。


例えば、

1級キャリアコンサルティング技能検定の事例指導ロールプレイ場面などでも、

《事例指導者が事例相談者の事例記録を音読し始めること》

これを私はどうなのかな…?と疑問に感じる方です。


なぜなら、

事例相談者が自分と相談者との関係性等を踏まえてまとめてきた事例であり、

そもそも事例指導の場面で相談する本人(事例相談者)が事例記録を紙にまとめるだけでは振り返りが適切にできていると認識していないはずです。


だからこそ事例に関し、

事例指導者に対して事例相談者自らが言葉に出して話すことに重要な意味があるのです。

相談者が相談したことも事例相談者が相談したいことも全てが対象です。


本日のマネジメントやメンタルヘルスの研修においても、ひとが言葉にすること、

しようとすることのの意義を解説いたしました。


先ず、話し手が自分で言葉にして話しをすることは、それを相手にわかってもらえるとき、

「理解してもらえる」安心感とささやかながらの自信につながります。

そしてこの効果はこれだけにとどまらず、そもそも他者に話しをするためには、

先ず自分に目を向けて自分が感じていることに気付きそれを言語化するプロセスを要します。


言語化する際には、

相手にわかってもらえる言葉を選択して伝える必要があるのです。


相手にわかってもらうためにその説明を修正していく過程で、

自らの過去の体験と今ここでの新たな体験とに時間的且つ意味的な連続性がもたらされ整理されていく効果を期待できるのです。


これを聴き手が奪ってしまうことは実にもったいない。


事例相談者の事例を預かったとき、

事例指導者がどうしてそこに描かれたものを一文字でも先に読んでしまうのでしょう?


あくまで仮説のひとつですが、

事例相談者とのその場での関係性や対話のリズム感を微調整するために、

事例指導者が読むという行為に出ているのではないかと考えています。

もしくは

(せっかく書いてきたものを渡してくれたのだから先に少しは読んでから入らないとならない)

といったような考えからなのかもしれません。


いずれにせよそうした意図等が、

事例相談者自身が内省する時間を奪うリスクがあると考えることがあります。


最初から最後までの全てにおいて、

事例相談者に言葉にしてもらうことの意義を理解しておくことは、

心理学を深め学ぶことにもつながると思います。

またその理論や知識を実践として取り込んで、

実践家として工夫をしていくことが重要なのではないかと思います。


この記事は

(どうすればいいのか)

(事例指導者が読まない方がいいのか)

といった形だけに注目する意味合いで書いているわけではありません。


ぜひ本物の時間を過ごす事例相談者の立場でイメージをしてみて欲しいと思います。