1級キャリアコンサルティング技能検定試験の論述にしても面接にしても、
事例相談者と共に学び合える関係性を大切にした態度が実技として重要になると思います。
例えば「欠如モデル」的な発想に基づくコミュニケーションがまるで役に立たない、
いや、それどころか、事例相談者の不満や不信を煽ることになり兼ねないというお話しを記事にしてみたいと思います。
事例指導という営みは専門家同士による対話が中心となります。
ただ、専門家同士といっても、事例指導者の認識として、
事例指導者の方が経験豊富で熟達度が高くなければならない等々、
一ミリでも、どこか上から目線感覚を持っていて当然だと認識している場合、
事例指導者が玄人で事例相談者が素人(または初学者程度)と、
事例指導者側が無意識にそういう関係性をつくっている場合があります。
すると、
事例相談者は未熟で、専門的な知識やスキルが少ない・足りないというバイアスを持ち、
担当したクライエントに起きている事柄等に対し、
事例相談者が主観的な発想、感情的な捉え方をしている、
だから事例相談者は適切な水準での対処行動ができない、面談にどこか不安を抱いている。
こんな風に事例指導者が評価をしているとしましょう。
したがって、事例相談者に対し、正しい知識や方法論をわかりやすく伝えれば、
抵抗や不安などは解消されるのだ、
こうして事例相談者に対して指導者が専門家として補ってあげなくてはならないのだ…
こんな風に考えている事例指導者(受検者)が存在するとすれば、
それはコミュニケーションの欠如モデル的ともいえるのではないでしょうか。
勿論、ここでそれを否定しているわけではなく、
そういう考えを強くもっている人には、そうした成功事例があるのかもしれません。
そしてそうした考え方がうまくはまって欠如モデル的なかかわりが重要になることもあるのでしょう。
そして大事なことは、それだけでは全く足りないということです。
1級キャリアコンサルティング技能検定試験のロールプレイや、
2級キャリアコンサルティング技能検定試験のロールプレイなどでもしばしばみられる光景ですが、
二人の人間の間でなされるコミュニケーションの対立は、
事例指導者と事例相談者、キャリアコンサルタントとクライエント、
こうした組み合わせの両者関係の中で、
事例指導者やキャリアコンサルタントの役割の人が、
いくら高次な知識やスキルを備えていても、相手の人の不安やモヤモヤは払拭されない、
また、事例指導者、キャリアコンサルタントが期待しているような行動変容が起きない、
こんな現象があります。
ここでは1級のテーマを取り扱っているので、
事例指導者と事例相談者の関係性に絞って記しますが、
要するに、事例指導者の知識や情報、スキルが特段欲しいわけではなかったり、
そもそも事例指導者からの説明など欲しいわけでも知りたいわけでもなく、
もっと別のことを求めているのかもしれません。
欠如モデルに基づいた考え方に偏っている事例指導者(受検者)は、
こうしたところを考えてみることが大事なのではないかと思います。
※かくいう私自身にも言い聞かせています。
私自身、今の大学での生きた学びから得ていることでもあり、
それを現場で実践していこうと考えるからこそ、
自身の言葉に変換して日記にしています。
対策講座でも皆様の前で常に実践してみようと努めていることであり、
自分自身の言葉で表現をしようとすることが、真に考えていることにもつながります。
架空の事例相談者や事例相談者の事例を目の前にして、
事例指導者としての振る舞いがどれだけ重要であるか、
これを皆様と一緒に考えながら最後には必ず私自身の考えも提示しています。
仮に、論述が書けない、言葉にできないという現象があるとすれば、
それは自分「自身が考えていない」ということにもつながるのかもしれません。
そして、自分の考えを示すというどこか孤独なワークの積み重ねは、
まず、自身が「善い状態」であることが必須条件にもなると思います。
他者の幸福をサポートできる役割として自身が先ず幸せである必要がありますね。
セルフケアがしっかりとできることも他者と対話を深める重要なポイントになると思うのです。
結果、欠如モデル的な発想から、
豊かな方略へと幅広くイメージできるようになると感じます。