先日、JCCでの動画撮影の際にもお話しする機会がありましたが、

例えば、1級キャリアコンサルティング技能検定の実技試験(論述および面接)の受検準備をおこなっている過程で、

「こういうときにどうすればいいのか」

「ここで自分の考えをどのようにまとめれば(記述すれば)いいのか」

など、疑問を抱いていることがあります。


このようなとき、

「こういう風にしたらどうか」

「こうまとめてみたらどうか」

などとアドバイスしたりすることがあったとしましょう。


おそらくこうした訓練?自体、

実践(試験でも)でそれほど効果的ではないと考えています。


つまり、その悩んでいるひとが、

せっかく成長できる機会をもっているにもかかわらず、

先生や先輩、もしくは自分が正しいとして教えている人、

そこからのアドバイス的な刺激になぜか納得してしまい、

多少なりとも楽をしている状況を2人やその周囲と一緒になりつくりだしているからといえます。


教えている側も実は自己の成長機会を逃していることにもなるでしょう。


先ず、どうすればいいのか、

どう書いたらいいのか、わからない、難しい…

と悩むこと自体にそのひと特有のエネルギーがあり、

だからこそカウンセリングの自己の態度に向き合えるとても大切なチャンスにもなるのではないかと感じます。


どうすればとかどう書けばではなく、

事例指導でいえば、

事例相談者に自分が何をしたいのか、

どうしてそれをしたいのか、それは事例相談者が求めていることにつながっているのだろうか、

このように自分がどうすればではなく、

事例相談者のことをわかろうとしているからこそ生み出されていくものではないかと考えます。


このある種の苦しみというか、不快感のような学習自体に意味があるにもかかわらず、

それを避けようとするのであれば、それは成長にはならないと考えています。


論述で書くことも同様。


綺麗にまとめるよりも、ダラダラとなんでもいいから自己の考えを書き出してみることや、

まとめようとしなくても、事例相談者に対して自分が何を伝えたいのかを思うままに書き出してみることの方が大事なはずなのです。


これを綺麗に整理してみたところで、

よそゆき顔の文章にしかならないことも多いものです。


自分らしさがにじまない、

おしゃれを装って説得力ばかりを身につけたくなってしまうとなると、

事例指導の現場でそのようなアプローチばかりが癖づいてしまいそうです。


この記事は私自身への戒めでもあります。


そして先日JCCでアップされた動画においても、

小澤会長も私自身も、そのようなところにフォーカスしトークセッションをおこなっています。


第14回1級検定試験を受検される予定の方、

どのように書けばいいのかというような迷いや悩みに当たっているのであれば、

それはひとにアドバイスをいただく機会ではなく、

せっかくの自分の成長チャンスであることを忘れないでほしいと願います。


自己表現をあれこれと工夫しながら、

その答えのない善き苦しみを味わっていき、

結局のところ最適解などもみつけられないことを実感でき、

ようやく相手を見つめていくことへの意味が実感できるようになるのではないかと思います。


例え論述事例問題でもそれは同じです。


自分から本当に生み出されていく事例相談者への真の敬意。


これは他者から書き方や表現の指導を受けるものではないということを本当に理解できるそのひとにしか得られない成長体験になるはずです。


明日から横浜会場で対面型のCVCLAB講座があります。

本日、羽田に向けて飛行中の機内の中からこの記事をアップしています。


明日から会場でお会いいただける受講者様、

とても楽しみにしています。

どうぞよろしくお願いいたします。