本日は宮崎市内への日帰り出張。

実は福岡から宮崎というのは電車でもバスでも片道相当な時間を要します。

 

九州をそれほどご存知のない方は、

福岡と宮崎の距離感について想像されたこともないかもしれません。

 

例えば、

福岡から鹿児島の方が遠いのではないか、と感じる方も多いのではないでしょうか。

鹿児島市内には九州新幹線のおかげもあり、

博多からなんと、1時間20分ほどで移動できてしまいます。

距離として300キロくらいのほぼ直線的なイメージなのです。

 

一方、宮崎への移動、そうは簡単にはいかない。

 

博多駅から宮崎駅までは、電車にもよりますが、

単線ということもあり乗車時間が3時間半〜4時間半ほど覚悟しないとならないのです。

 

福岡から東京に向かう方が余程近く感じます。

 

よって宮崎へは飛行機がとても便利。

空を飛んでる時間は実質約40分間ほどです。

 

福岡空港の早朝の様子は雨模様でした。

 

今朝8時頃、宮崎空港に到着したのですが、

こんな感じで雨は降ってませんでした。

宮崎ブーゲンビリア空港の真ん中には、いつも垂れ幕があり、

宮崎の今の印象、旅のささやかな思い出を持ち帰ることができます。

 

せっかく来たので、宮崎に一泊くらいして、

ご当地グルメを食したいところなのですが、泊まるほどの仕事量がなく…汗

今回もひとつミッションをやり終えたらとんぼ返りで福岡へ移動です。

 

とほほ。

 

さて、

キャリアコンサルティングや事例指導における「わかりやすさ」という観点について、

少し触れてみたいと思います。

 

これは昨夜JCCのある理事の方とも話し合ったネタでもあり、

また、様々な関係者の方にも意見や考えを改めて伺いたいところです。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座でも、

実践的な事例指導の訓練学習などにおいても、

それとなくわかりやすさを求められる場面があります。

これは当然かもしれません。

 

一般的に「わかりやすい」というのは、

とっつきやすい、整理しやすい等々、

安心感やしっくり感、安定感を求めている場合もあるのかも。

理解の共有感が増すという感じもあります。

 

一例ですが、例年ある呟きとして、

 

「どう書けばいいの」

「どう振る舞うとよさそうですか」

「どう進めればいいのでしょうか」

「こうされた場合、どうしたらいいのでしょう」

 

モデルとなる一つでも教示してもらえれば、

確かにわかりやすさや明瞭さというものが生まれ、

そこそこ安心感を得られますよね。

 

こうした視点から、少し掘り下げて、私が考えていること、

尊敬している先生から教えていただいたことを踏まえ文字にしてみます。

 

現場におけるクライエント相談支援場面では、

当然に、対話を醸成させていくだけの関係構築が重要となります。

 

この人間関係性というものは、

事例指導の面接でも、スーパービジョンのバイジーとバイザーとの関係においても、

最も重要であるともいわれる肝にあたるところですよね。

 

普段の生活で会話を円滑に進めるためには、

話す側が自分の気持ちや状況等を聞き手に理解しやすいよう、

情報等をなるべく明瞭に提供することが求められます。

こうした意味からすれば、

わかりやすさというものはコミュニケーションの基本的な要素ともいえます。

 

一方、

私たちキャリアコンサルタントが日々臨んでいるところは、

なぜかわかりにくいことばかり。

 

だからこそここでできることとして、クライエントの話しを聴かせていただく、

いや、前のめりだけど前のめりにならないように積極的に聴く。

しかし、そんなに簡単にはいかないことが多いものです。

聴きたいことが聴けるわけでもない。

それこそ簡単にわかったつもりになってしまうことの危うさを常に考えておく必要もあります。

 

複雑な問題や深層の感情に対処する場合、わかりやすさだけでは不十分。

わかりやすいこと自体、大事なところが抜け落ちていることも多いものです。

 

事例指導においてもこれは同じ…

もしくは、

それ以上に事例指導者はあらゆることに敏感になって、

諸々複雑に深く難しくも考えていくことが必要なこともあると思います。

 

キャリアコンサルティングにおいて、

クライエントが抱える問題や感情はしばしば複雑なもの。

単純な解決策は存在しないといえます。

 

キャリアコンサルタントはクライエントの深層にある感情や複雑な状況を共に探求し、理解していこうとする必要があり、

こうした視点取得(他者視点)を様々に考えることは、

ある種の不快さを伴うこと。

 

事例指導では、これを専門家同士で相互にやり取りしながら、

事例相談者の視点を借りつつ、事例相談者自身が主体となって考えられるよう、

共同的に作業を積み重ねていくのです。

その時も事例指導者は常に事例相談者にフォーカスしているからこそ、

事例指導として成立します。

 

ある意味、とても面倒なことであり、変なエネルギーが何倍も必要だったりします。

そしてとても合理的とはいえない営みにもなります。

実はそれを通り越えると、すごく肩の荷がおりて、

あえてリラックスしたフリが自然にできることもあります。

※決してリラックスしているわけではありません。

 

クライエントと事例相談者との対話の中で、

解決策や方向性を見つけることも重要でしょう。

それは単に「答え」を与えることや「答え」を導くわけではなく、

クライエントが自らの可能性や選択肢を見つける手助けをする過程が大切ですよね。

このプロセスには、時には混乱や不安、

未解決に伴う不快な感情も含まれることがあって、

これがその人の成長や自己の理解のための貴重な機会になることがあります。

 

こうしたリアルなセッション自体を事例指導者が自己の体験などから知っていることも必要であり、

だからこそ、

事例相談者との対話場面においても、

事例相談者を置き去りにしない思考プロセスが自動的に働くのだと考えます。

 

勿論、それを大切に意識し、

磨き続ける訓練が必要であることもわかっていくのだと思います。

 

私たちの学習や訓練においては、

わかりやすさなどを追求することではないはず。

わかりやすくすればするほど実践家として危ういことになるかもしれません。

 

実務者がこれらの概念を理解し適切な対応ができるようにするためには、

実際の事例を活用した学習やロールプレイなどを通じ、

現実の複雑さを想像し体験することです。

 

曖昧さや消化不良的なところにじっくり向き合い味わうことのできる、

そんな忍耐スキルを訓練から磨くことも必要なのだと感じています。