スーパービジョンの学びをはじめると、

「米国では…」という話しを聞くことも多いのではないでしょうか。

ひと昔前から、こうした教えはどの分野・領域でも語られています。

 

スーパービジョンの責任所在などを含めて、

国内との異なりをあらゆる角度から先生方に教えてもらえることも多い。

 

いいとか悪いとか、そういうことをブログで書きたいわけではありません。

 

そして、このブログで記事にしたいと考えていることは、

スーパービジョンでも事例指導でも、一旦そうした呼称はわきに置いておいて、

スーパーバイジーや事例相談者がまとめてきた事例(ケース)に関しての「実践」での責任という観点です。

 

これは1級キャリアコンサルティング技能検定試験を受検される方にとっても、

重要なところになると思っています。

そしてこのブログでは1級キャリアコンサルティング技能検定試験をテーマにしているので、

先ずは、事例指導を土台にして書いてみます。

 

事例指導で扱う事例相談者の事例ですが、

事例指導者は、相談者に間接的に介入することになります。

 

そこで、事例相談者がまとめた事例(ケース)について、

実践という観点から、相談者に対し支援等を行う諸活動について、

誰に責任があるのか…と考えてみたとき、

読者の皆様は、どのように考えていくでしょうか。

 

(事例指導者は事例相談者が担当している相談者には会っていないのだから、

勿論、相談者の相談業務を担当した事例相談者自身に責任があるのではないか?)

 

こうした発想を持つ方も一定数いらっしゃるように感じます。

 

(責任って一体なんだ?)

こうした質問をする方もいらっしゃるかもしれませんが、

ここでは記事のテーマから逸脱するため、

気になる方はキャリアコンサルタントの責任自体を調べてみてください。

 

お話しは戻り、例えば、

事例指導のロールプレイを観察した際、

 

事例相談者役(B):

相談者はそのとき一体何を考えていたんだろうか…。

小林さんはどう思いますか?

 

事例指導者役(小林):

私は相談者さんには直接会っていないからわかりませんね…。

Bさんは、キャリアコンサルタントとしてどう思いますか?

 

といった会話のやり取りがあったとします。

実際に訓練時にはこうしたやり取りは多いものです。

 

事例指導者役の

(私は会っていないからわからない)

(直接担当していないからわからない)

的な認識や応じ方に興味があります。

 

確かに事実としてそうなのですが、

本当にそうした言葉を発したり、そうした考え方で大丈夫なのでしょうか。

 

現場での実践を真に考えたとき、

相談者に対し、責任を持つのは確かに事例相談者でもある。

一方で、

事例指導を受けるために事例相談者が事例をまとめ、

この事例記録を共有した以上、

事例指導者にも同水準での責任が生じる。

これを事例指導者が理解しているのかが重要です。

 

現場実践というものはそういうものなのだと教わってきました。

 

仮に、

組織の中でのルールや慣習等を含め、組織管理上の関係性が絡んだ事例指導があるとすれば、

それは管理者となる指導者の役割に責任が重くのしかかってくることもあれば、

業務自体によっては担当した事例相談者自身に責任が偏ることもあるかもしれません。

 

ここで書きたいことはそんなことではなく、

純粋に、キャリアコンサルタント一人ひとりの責務を考えたとき、

相談者(クライエント)に対して、実践キャリアコンサルティングをする人として、

事例相談者の責任は勿論、事例指導者にも同じように責任があるということです。

 

ひとの事例を預かって、その事例を扱いながら、

自分がその事例について責任を感じるというモードに入れる方は意外と少ないのかも。

 

1級の受検でそうしたことを間接的にも教えてくれる方はどれほどいるのか、

これは本当に実感します。

 

試験とはいえ、事例を読み、それを他人事のままで考えるのでは、

事例相談者の立場を感じ取ることは難しいと思うのです。

 

いつかどこかで誰かが言葉にされていた(俯瞰してみる)という表現。

 

俯瞰してみることが大事なこともあるのですが。。。

 

場合によっては、俯瞰してみるということが、

事例を預かっていながらも他人事のように捉え、

そして事例の中から指摘する箇所を探している…なんてことにもなり得るわけです。

 

事例指導者が事例内容(ケース)に何も恐れを感じない、怖さを感じない。

これでは事例指導にはならないという感じがするのです。

 

現場での実際は常に全人格をかけた真剣な場と器。

 

特に私の講座でお伝えしていることなのですが、

いくらベテランであるとか何十年経験がある、何万回、何千回面談経歴があると言っても、

私を含め、それを発する人ほど、どこか脆いものだと感じることがあります。

 

今、目の前のここにいるひとと向き合うとき、

いかにまっさらになることができるのか。これに尽きるのかもしれません。

初学者の基礎トレーニングを全てクリアしている人などいない。

だからこそいつまでも基礎を学び続ける覚悟が必要であり、

また、現場での実践は恐れもあり、怖さもある。この繊細さが重要だとつくづく思います。

 

うまくいくだろうか…正直こんなことをどれだけ経験を積んでも考える。

勿論、そんな操作的な発想は一切意味がないこと、邪魔になる、人を傷つけてしまうだけなのだということを、

本物の実践家は知っているのだと思いますが、

それでもなんとかその場を乗り切りたいと感じることだってある。逃げ出したくもなる。

 

事例指導者がこうしていつも恐れ、怖さを感じているからこそ、

事例相談者が抱く怖さ、恐れ、こうしたことを感じている人との関係性が意味を持ち、

有意義ともいえる相互作用が起こるのだと考えます。

これこそお互いの事例指導面接の場ではないでしょうか。

これは1級の実技でも心掛けておく必要があるはずです。

 

現場というものはそういうものではないかと考えます。