昨夜、日本キャリア・カウンセリング研究会(JCC)主催
「1級キャリアコンサルティング技能士による事例指導講座」がオンラインで開催されました。
6月の基礎プログラムコンテンツは昨日が最終日となっています。
当初、10名の受講者様がいらっしゃると伺っていたのですが、
当日直前、事務局の方と私を含め10名での学習になるということがわかりました。
※私の勘違いでした…汗
お一人が欠席となったので、
受講者様7名、事務局の方と私を含めて9名での学びの場となっております。
比較的コンパクトな形で開催されたこともあり、
受講されているお一人おひとりがグループワーク中にどんなお話しをされているのか等、
表情から言葉、そのひとの感じ方等をゆっくりと観察することができました。
私自身、受講者様の考えや視点等から学ぶことが多いと改めて実感しています。
昨夜講座に参加いただいた方、どうもありがとうございました。
さて、今回のブログ記事タイトル「きいてるだけで気づくのか」という疑問?について書いてみます。
この話題は、1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座でも、
例年、疑問として挙がるお話しであると思います。
実際、気になるところではないでしょうか。
そもそも「きいているだけでは何にもならない」という表現をする場合がありますが、
この業界で学んでいると、そうした発想に出会うことは一定数あるでしょう。
それに対抗するような表現を書けば、
そもそも他者の「はなしをきけなければ何にもならない」という返し。
これはお世話になっている先生から発せられた一つの表現です。
「相談支援」という営みを日々重ねてきて、
その特別な時間だけでもよき理解者がそこで一緒にいることの意味・効果を実感される機会が多ければ多いほど、
ここでの話題を大事に感じると思います。
キャリア形成支援もひととひととの関係性からその深さ等が変化していく側面が多分にあります。
そしてこれはキャリアコンサルタント同士においても相当に影響してきます。
事例指導者の役割のひとが、
(ここに気づきを促すべき)(指導者として)
といった偏りみたいなものや、自己の中心的な視点へのとらわれがある場合、
その場で事例指導者自身の状態をセルフチェックできる留まり方を磨いてほしいと思います。
1級技能検定の評価細目等に示されている「問題把握力」「具体的展開力」。
そこに書かれている内容を、
どうして”事例指導者が導くようにしなければならない”的な発想や認識にしてしまうのか、
一例を挙げれば、
カウンセリングの本質・基本に立ち返ってみることが必要かもしれません。
文章の読み取り方ひとつで、
そこに介入していく際の行動起点が自己を中心にした発想になってしまう。
すると事例相談者支援を考えているつもりが、
単なる自分の価値観や経験値の押し付けになってしまうことも多々あると感じます。
昨夜も皆様の前でメッセージした一言です。
「ひとは自ら気づくことができるのです」
ということ。
特にそれはキャリアコンサルタントの活動ができる方(事例相談者)だからこそ、
当然であると感じます。
例えば、
抵抗されたとか、むすっとされたとか…
私は聴くことに専念したのに、相手が変だったとか…
こうしたことを表現していてもキリがないと思いますが、
つい相手の態度に疑問を感じている場合もあります。
それは自分自身のそこでの存在感が影響していることをわかっていれば、
そうした反応の事例相談者に影響を受けているのは自分(受検者)であることもわかると思います。
そしてそれ自体、そのふたりの関係性でしか起こり得ない特別なものです。
想像通りにいくわけがない。
これが現場ですよね。
事例相談者が得る気づきというものは、
決して事例指導者の思惑通りでなくてもいいではないか。
ここが本当に重要ではないでしょうか。
事例指導者がそれをわかっていることが大事で、
だからこそお互いに自由度が増し、
そしてその場の瞬間瞬間に、しなやかで事例相談者によって意味深いより善き問いかけに変化するのだと考えています。
だからこそ事例相談者が自身で気づきを得たかったところに辿り着くことができる。
自らの気づきは、事例相談者にとって何よりも本質の掴みになり、
そして自身に戻れる・さらに自信にもなり得ます。
事例指導者からのシナリオ通り、パターン化された質問などは一切不要だと思います。
事例相談者からしたら陳腐かもしれません。
事例相談者と共に考える「問題把握」であり、
またその全体の面接雰囲気を含めたダイナミックな変化とイメージが「具体的展開」の重要な一部ではないかと思うのです。