引き続き、

横浜会場にて1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座を開催します。

 

一昨日から昨日までの2日間、

各日で参加いただいたメンバーが違うのですが、

同じ事例等を検討する中で、それぞれがもつ意見や視点等、異なるところも多く、

私自身、毎回の度に学びの幅が広がり、また深まっています。

 

本日も昨日までの2日間とはお集まりいただくメンバーが異なります。

改めて、皆様とご一緒に学べることを楽しみにしています。

会場までお気をつけてお越し願います。

 

さて、表題について記事を書きます。

 

読者の皆様は「視点取得」という言葉をどのように考えていらっしゃるでしょうか。

 

心の働きを示すのですが、

この「視点取得」はキャリアコンサルタントや産業カウンセラー等、

対人援助にかかわる専門職の方だけがもつ特別なスキルではありません。

普段において大抵の方が

「視点取得」の認知過程を大なり小なり働かせています。

そしてそれを意識することもできると思います。

 

記事ではキャリアコンサルタントの「視点取得」に絞って記事を書きます。

 

もし「視点取得」をキャリアコンサルタントが意識できない場合、

面談中「自分の視点にとらわれたわたし」の状態が、

ながく続くことにもなるかもしれません。

 

このようなキャリアコンサルタントだったら、

恐らくクライエント支援に相当な影響を及ぼすこととなります。

 

キャリアコンサルタントでなくとも、ひとは「視点取得」を磨くことができます。

 

さらにキャリアコンサルタントを生きていくのであれば、

普段のひと以上に、それをキャリア形成支援者として意識し、認識し、

常日頃からその訓練を重ねて磨いていくことが重要なのだと考えます。

 

また、1級技能士を目指す方であれば、

なおさら「視点取得」の認知過程に磨きをかけていく必要があります。

 

「指導」するというとらわれがそれなりにあり、

事例指導者の視点を優先して考えている場面に遭遇することも多いです。

 

少し強い表現をすると、

他者の大切な事例記録(事例相談者が作成した大事な記録)を指導者が自分目線で評価し、

事例指導者側の解釈と論理で有無を言わせないような態度をとっているようなこともあるのかもしれません。

 

(指導者なんだから)

(全てはクラインエントのため)

(ゲートキーパー機能を発揮させなきゃ)

 

こうした考えや思い、

正義感みたいなものが随分と前のめりになることもあると感じます。

 

特に、論述問題などに取り組む際、

実技としてそうした姿勢や態度が如実にあらわれる感じもあります。

 

全ての問いについて「あなたの考え」という認識が、

その人の中での自己中心的な視点にとらわれている様子を観察することもあります。

 

この「視点取得」という認知過程は、誰でも持ち合わせながらも、

誰にとっても相当に高度な認知過程であり、

これを一層磨くためには、特に努力を要するといわれています。

この不快な努力を自らすすんで経験していく積み重ねが、

少しずつ少しずつ真の共感力を、

あらゆる支援場面において発揮できるようになっていくのではないでしょうか。

 

個が抱くキャリアの悩み事、それは他人に簡単には語れません。

その個を担当するキャリアコンサルタントの挫折感、行き詰まり感、困難さだって、

それを事例指導者に簡単に語ることなどできないものです。

 

共感めいたことをされるくらいなら、しっかりと状況をきいてくれればいい。

相談にきたひとの本音かもしれません。

 

《すぐにわかったような素振りをする、すぐにアドバイスや助言をしてくる、

いらないんですよね、そういうの。》

※実際の声を参考にして架空のものへ変換した表現です。

 

一例ですが、

「コ〇〇ルタント」とか「ア〇〇イザー」といった呼称を気にしていること自体、

専門家としての本質的な行動を阻害しているという知見もあります。

 

確かに、こうした呼び名に意識が向く場合、

そのひとの中で自己中心的な何かが起きているのだと感じます。

 

こだわりなのか、意味や定義を気にしているのか、

一方でクライエントからすればそうしたことはどうでもいいのでしょう。

 

私たちは一人ひとりのクライエントが抱く悩み等への側面的支援を考えていく黒子。

対人援助職としての諸活動を続けていくためにも「視点取得」を磨き続けていくことが、

自然にその活動の意義の深みや幅に少しずつ少しずつつながっていくのだと考えます。