大学から、論文等における生成AIの利用についての通達がありました。

今の時代ならではの体験です…苦笑

 

「論文で生成AIなど使おうなんて、そんな発想はよろしくない!!」

という方もいれば、生成AI賛成派もいるのだと思います。

※私自身は生成AIは使用できない派、というか遅れている方…汗(今のところ)

 

どちらにせよ、

現代では多くの方が「ChatGPT」等の人工知能技術諸ツールを使用してると思います。

※論文等で使っているということではなく。

 

我々キャリアコンサルタントも、

様々な生成AIツールについて広く知っておく、学んでおく必要があると思います。

 

ややネガティブに考えることとして、

単に生成AIの能力に基から頼りきってしまい、

自分から何も生み出さず(生み出せず)、

生成AIに任せれば、もしかしたらミラクルらしき答えに辿り着けるかも…

というような発想を持ってしまったとするならば、

 

楽したいこともありますから、、、

 

これは生成AIを活用しているとは言い難いのかもしれません。

キャリア形成支援の実践力が貧弱化する方向へまっしぐらとなりそうです。

 

令和5年に、国が教学面での生成AIの取り扱いについて公表していることがあります。

それぞれの教育組織・機関内でルールを取り決めなさいというような内容ですね。

 

例えば、

論文等では、研究者・提出者・報告者等が人間であるからこそ意味があるもの、

そのひとの能力を認証されていくものなのに、

「AIを使ったらどうなるのか」

「どんな文章や答えが出てくるのか」

といった発想を持つこと自体、

諸々敬意を欠くということにもなり兼ねません。

 

興味本位にやってみた…

これが許されないことも多々あります。

 

たとえ話になるのですが、今から約30年ほど前のこと。

国内である大がかりな全国的プロジェクトがありました。

 

特定した内容は記事にできませんので、ざっくり表現すると、

まだ個人情報保護等の取り扱いに対して公正で厳格な法もルールもなかったような時代に、

ある顧客の個人情報等がその時代のコンピューターに集約され、

一部の多くのメンバーがそれを自由に操作できる(閲覧できる)時期が一定期間ありました。

そのコンピューターに誰でもアクセスできたような時代なのです。

 

このような現場環境にあると、

「入力したらあの人、出てくるかな??」

と悪戯心が揺さぶられるひとが出てきます。

 

当時の人間の認識にしてみれば、

それがそれほど大したことに感じない方が多かった時代。

 

著名人の住所や連絡先等。

知りたいと思うひとはたくさんいるかもしれません。

そんな「秘密」のエリアに割と簡単にアクセスできてしまうような時代があったのです。

 

こうなると道徳心も倫理観も危うくなる弱さが人間にはあるように思います。

 

生成AIの利用・活用についてもどこか重なるような面があるように感じます。

 

こうした話題は、キャリアコンサルタント、キャリア形成支援者同士等において、

本来、生々しく話し合いをする必要があるように感じます。

諸資格試験の対策準備等への取り組み方などにも置き換えることもできそうです。

 

読者の皆様はどのように感じられるのでしょうか。