1級キャリアコンサルティング技能検定試験の実技を考えるときや、
スーパーバイザー養成等の場で話題に挙がりやすいことを含め、
ひとつの共通なる合意点だと考えて記事にしたいと思います。
ブログでは主に1級キャリアコンサルティング技能士をテーマにして記事を書いているので、
以下、事例指導、事例相談者、事例指導者という表現にいたします。
目の前の事例相談者からケース内容の報告を受ける際、
そのキャリアコンサルタント(事例相談者)が言葉にして記述したり話す内容を整理し、
いくつかの問題点を発見して課題の優先順位を決め解決方法を模索する…
こうした流れをひとつの事例指導セッションとしてイメージしていることもあるかと思います。
例えば試験の問題を目の前にして、
単に何を問われているのかと些か平べったい視点から取り組むと、
事例指導者の自己中心性が発動した物事への評価に偏る傾向があるかもしれません。
特に1級技能検定試験では論述問題等を使ってそのような見方の強化を重ねていることもあるでしょう。
上記のような事例指導者の態度や応答等が、
事例相談者にあるこころや思考の働きをとめてしまうことがあります。
事例指導者のかかわりや見立て、
それがいくら論理的に正しくても、
また本質に近いとされる答えを導き出したとしても、
実際の事例相談者からすれば、
(そんなことはわかっているんだけどなぁ)
(そりゃそうかもしれないけれど、なんだか釈然としないな)
というように、事例指導者に対して納得できないことにもなるかもしれません。
事例指導の場と器を提供する者の根底に、
対人援助の営みの中における相談型支援の難しさを日頃から実感できているか、考えられているかが、
目の前の専門家としての事例相談者をわかろうとする試みに影響するのだと思います。
事例相談者がケース記録やケースの説明で言葉に語られていること自体は、
事例相談者自身が意識にのぼっていてすでに考えられている水準だと思います。
その書かれたり語られたことがら等の表現の段階で、
事例指導者までもがいくら一緒になってそれを繰り返し触れていっても、
結局のところ事例相談者のことをどこか否定しているような態度となるのかもしれません。
1級実技論述・面接試験にこうしたことが出やすい傾向があるようにも思います。
ケース記録の表層的なところを扱って問題としてみたり、
単にその解決方法を一般化した表現で示していたりすることは、
事例指導の場面を提供していることにはなり難いのではないかと考えます。
先ずは言葉になっているところを何段も深めて考えていく訓練は、
キャリア形成支援者にも重要な取り組みになりますし、
ひとによって体験も異なればその感じ方や印象、
もっているイメージの力が異なるわけで、
ケースに記録されている同じ言葉でも、
事例相談者と事例指導者ではまるで異なるでしょう。
仮に
(論述でそんなことがわかるわけがない)
このような発想で事例相談者をわかろうとすることをあきらめてしまうようでは、
結局ロールプレイでも同じことが起きてしまうと思います。
事例相談者がどうしてそのような行動をとっているのかには、
キャリアコンサルタントとしての感じ方や考えなど必ず意味があります。
なぜ、どうして、という視点取得につながる発想やイメージを意識していくことが、
認知過程を鍛えていくトレーニングになるのだと考えています。
物事の捉え方が表層的だと、
例えば何を問われているのかがわかったところで、
問題把握の段階をひとつとってみても、
なんとなく自己の記述表現があっているのか間違っているのか、
自分の中でどこかしっくりこないまま、
うまい表現が見つからない感じでモヤモヤが続きます。
その課題はうまい表現ができるできないではなく、
自己中心性を限りなく控え、
ケースをまとめた事例相談者の捉え方やその感覚を強調してイメージ表現していくことが大切なのだと改めて思います。
そうした深度を増していくような訓練を少しずつ増やしていけると、
物事の本質をより幅広く捉えられるようになるのだと考えています。