1級キャリアコンサルティング技能検定試験や事例指導の実践などにおいて、

お相手がどなたであったとしてもその場で出会ったのであれば、

それは事例指導の面接場面となります。


当然のことなのかもしれませんが、

これが事例指導者側の意識のあり方等によって、

そうなっていないこともあるのではないかと考え記事にしています。


とかく、事例指導のロールプレイ等の体験について、

お相手のことやその反応などを話題にしていることがあると思います。

仕方がないことなのかもしれません。

一方で、その自己が抱く考えに変化を与えてみると面白いと思います。


つまり、

それを考えたり語っている「自分になにかが起きているのだということを知ること」が学びになると思うのです。


どこかでなんとなくお相手のせいにしていることもあるかもしれませんし、

お相手が意図的に難しい役割を演じていると勘違いしていることもあるかもしれません。


また、お相手が知人だったので…

というようなお話しも毎年のように伺うことがあります。


ここまで記事を読んでいただいて勘違いしないでほしいことは、

なにかが起きているからよくないとかよいとか、

そうしたことをここで書いているわけではありません。


どなたでもお相手から様々な影響を受けることは以前にも記事にいたしました。


そしてせっかく振り返りの時間をつくるのであれば、

より本質的なところに触れたり探していくことも大切だと思うのです。

勿論、今の自分にとって何が本質的なものになるのかは誰にもわかりません。

だからこそ見方を変えてみてみることも面白いのだと思うのです。


事例指導者としての役割を担うときの共通のポイントにもなるところとして、

事例相談者の変化を真に信じることがあるでしょう。

お相手がどなたであれ信じられることが大事なのだと思います。


もし仮に、

事例指導者が事例相談者の変化の可能性やその希望を持てなくなっていたとしたら…


その場について事例指導者が匙を投げていることと同じようなもので、

2人の努力は残念ながら無駄になるのかもしれません。

事例指導において少なくとも事例指導者からなにかを諦めることはあってはならないことだと思うのです。


事例相談者に対する変化への期待というものは、

事例指導の面接に絶大な効果をもたらします。

そしてそれは現実化します。


真に事例相談者の能力を信じているからこそ、

事例相談者は自己成長するために変われるし、

それは事例指導者が予感していた通り現実になります。


そうならないのは、

事例指導者が信じることに徹することができていないときなのかもしれません。

全人格をかけ事例相談者に集中して向き合っていることが必要です。


改めて書きますが、

徹することができなかったことが悪いと書いているのではありません。

そこで自己になにが起きていたのかを知ることの方が余程重要なことであり、

どうしてそうなるのか、自分を知ること、自己への興味を拡大してほしいと思うのです。


これも私自身の戒めでもあり、

また専門家全体での課題等にもなるのではないかと思っています。