本日は東京で仕事の打ち合わせがあるため福岡から羽田へ移動しました。

通常は横浜近辺で宿泊をするのですが、

今回は珍しく2日間とも東京で仕事なので、

久しぶりに都内の宿泊先を選択しています。


モノレールからの景色は久しぶり。

※東京モノレール流通センター前駅手前の車窓です。

 

最近は特にどのエリアでも中心地に位置するビジネスホテルの宿泊料金が著しく値上がりしています。


コロナ禍での低迷期を取り戻すかのように、

タイミングによっては、3倍から4倍ほどの価格帯になっているところもあり、

コロナ禍以前よりも上がっているところが多いので驚いてしまいます。

こればかりは仕方がないことなのかもしれませんね。


私の場合、ホテルの部屋に滞在中に仕事や作業等を行うことも多く、

”寝られればいい”

というわけでもありません。

ワークスペースとして居心地の良さや安心感、

ネットワーク環境等などにも気を遣います。

毎回諸々折り合いをつけながら宿泊先を物色しています(苦笑)

 

さて、今回の記事では「受容」というキーワードを取り上げ少し考えてみたいと思います。


面談を実施していて、

改めて、私の中で「共感」の根底にあるものを意識していくことの大切さを痛感することがありました。

これは自身がスーパービジョンを受ける準備(ケースの振り返り等)をしているときに気づくこともあります。


キャリア形成支援面談においても事例指導面接においても、

目の前で相談をしてくれるひとに対し受け手が「共感」的な態度を保つことがどのような意味をもつのか等、

常に考えてみることは大事なことだと思います。


(そんなことは基本だ、わかっている)


という声が聞こえてきそうですが、

頭でわかっていることなのに「共感」的な態度が伴わないこともあるのではないでしょうか。


また「共感」の根底には「受容」があるのだということ、

こうして改めて考えみる機会が案外少ないのかもしれません。


もしかしたら「共感」の根底に「受容」があるということ自体、

話し合ったり考えたりすることもないこともあるのかも。


さらに例えば「受容」という言葉の意味について、

キャリアコンサルタント同士で同じとは限りません。


共通の認識でありたいこととして、

私たちキャリア形成支援者が考える「受容」とは、

そのひとに対して許可するとか同意するとか承認するなどではないと思います。


こうした認識がごっちゃになっている場合もあり、

論述やロールプレイのトレーニングなどにおいても、

お互いに使っている言語の意味や認識がズレているシーンを観察することがあります。

事例指導者自身が「受容」の意味合いを

(承認する)(是認する)(肯定的に評価する)

ということと同じように考えていることもあるかもしれません。


少なくとも相手の意見や考え方に対して同意したり賛成等をしなくとも、

相手をわかろうとすることや受けとめていくことは可能です。

これがある意味そのひとをありのままに受けとめている「受容」的な態度にもなるのだと思います。


そして「共感」「受容」はこういうもの…

というようになにか強制されるものでもありません。


こうした場面は決してひとりでは得られず、

真に聴いてくれる他のひとがそこにいるからこそ、

相談しているそのひと自身の変化につながるのだと感じます。


事例指導者に「共感」の根底にある「受容」的な態度があることで、

事例相談者の支援にも展開されていくのではないかと考えます。


目の前で相談してくれるそのひと自身が少しでも自由を感じられる場になれば、

そのひとらしくも変化が起こりやすくなるのでしょう。

逆に相談の受け手側にこの意識が薄いとなると、

相談してくれるそのひとにとっての支援というよりは、

むしろそのひとをがんじがらめにし、

身動きが取れない状態にした悪循環のかかわりになりかねません。


相談の受け手側からすると、

よかれと思い「共感」しているつもりになることがありますが、

根底にある「受容」的な態度をもてない関係には、

多かれ少なかれ相談しているひとを不自由にしていることがあります。


これは初学者水準の専門家に陥りがちな基本中の基本かもしれません…

いや、

それよりも熟達者水準の専門家の永遠の課題になる話なのかもしれません。


私自身、振り返りを重ねていく度に様々な場面においてこうした視点からも未熟さを痛感します。

これを読んでくださっているキャリアコンサルタントのみなさまはいかがでしょうか。