「どうすればよかったですかね〜」

「そうすればよかったんですか?」

と事例相談者が発している。

 

なんとも他人任せっぽい発言ではありますが、そう言いたくもなるのですから仕方がない。


つまりこのような状況を生んでいるのは事例指導者のかかわりに原因があることが多いのだと感じます。

1級キャリアコンサルティング技能検定の面接試験準備(ロールプレイの訓練)でよく観察するシーンです。


事例相談者と事例指導者の間で、

相談者との面談対処方法に留まった話しをしていることがひとつ挙げられます。

 

事例相談者にしてみれば、

自分の考えの枠組みを超えることができていないというか、

本質的なところに目を向けられていない状態のまま考えさせられているようです。

 

苦しいですね。

 

そして事例指導者も

(どうしてこのダメなところに気づかないのかな?)

と思いながら、

同じようなところで言い方を変えたりして試行錯誤するけれど何も変化しない。

 

なお苦しい。

空中戦が繰り返されるだけ。


そして事例指導者は

『他になにかできそうなことはありませんか?』

『なにか気づいたことはありませんか?』

と薄い期待を胸に幾度か問いかける。


事例相談者はそれを問われても

「え?ほかに…と言われてもそれがわからないからきたんです。」

「気づいたことですか…特にありませんね…」

と期待通りには1ミリも動かない。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定の実技面接試験でこうした状況になる傾向はわりと多いのかもしれません。

 

少し話題を変えた一例ですが、


口頭試問等で

(事例相談者が相談者の気持ちを深めていない)

(相談者の内的な面が共有されていない)

といった事例指導者の表現がありますが、

そのような表現がどこか神聖化されているイメージもあります。

 

気持ちを聴けていない、

内面を深めていない、

というような表現で収めようとしていると、

全てのケースへのアセスメントがその水準で落ち着いてしまいます。


上記はあくまで一例ですが、

とにかく思考がパターン化したところで留まってしまっていることは勿体無いこと。

 

相談者への支援もそうですが、事例相談者への事例指導においても、

自分(指導者)が持つ視点を事例相談者に差し出したところで、

事例相談者がそれをどのように受け止められるのかを考えておかなければ、

事例指導者の枠組みだけで考えていることになりそうです。

それでは事例指導が効果的に働かないかもしれません。

 

事例指導者がフォーカスしていることが事例相談者にどんな意味をもたらすのか、

ワンクッション入れて行動した方が事例相談者のことを考えていることにも繋がります。

 

(こうすればいいのに)

と指導者が思ったとしても、

指導者の言う(こうすればいいのに)ということが、

事例相談者にとって「こうすることができない」「こうすることの意味が違う」場合もあります。


このような視点も内面といった表現を使わなくとも、事例相談者が抱く内面にあたるものだとも言えます。

※内面という言葉だけでは収まらないのです。

 

事例相談者も同じように相談者に対して、

「こうしたらいいのに」

と提案していたとしましょう。

 

事例相談者の言う「こうしたらいいのに」と言うことが、

相談者にとってどういうことにあたるのか、

それができないから悩んでいるのではないのか、

そうした思いをできる限り理解しようとした面談になっていたのか、

事例相談者自身が自らそこに触れたくなるような場と企画の提供が事例指導に必要なのです。

 

そして事例相談者が事例指導の面接で自ら体験できたことは、

相談者とのカウンセリング実践場面でも、

それを信じ活かし行動に移せるように変化することがあります。

事例指導者の役割を担うものとして、

そうした事例指導をイメージしたいものです。


このようなことを色々考えながらテーマを持ってロールプレイ訓練を進めていくことが必要です。