今朝関東に移動してまいりました。

本日搭乗した飛行機です。


最近ではコロナ禍のときの閑散とした空港や飛行機の機内の空気感を味わうことはなくなり、

都会ではどこに行っても人の多さに驚きます。


本日の便もほぼ満席に近い状態。

本当によかったと思います。


ただ…

宿泊施設や飲食店さんがコロナ禍前より相当な料金値上げになっていて…汗

これも仕方がないことなのだと考えています。


さて、明日から3日間、

横浜会場にて1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座を開催いたします。


この3日間で18名の受検予定の方とお会いし、

ご一緒に学びを重ねていく予定です。

講座をご予約いただいた皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

お会いできることを楽しみにしています。


今回の記事タイトルですが、

「指導者」と表現しているのは自分自身、

そして1級に挑戦される方へのメッセージになればと考え書いています。


そもそも指導者の役割を担うときに限らず、

キャリアコンサルタントとして相談者と向き合っているとき、

カウンセラーとしてクライエントと向き合っているとき、

先輩として後輩と向き合っているときなどでも類似した傾向が観察されることも多くあります。


医療面接などでも医師として患者と向き合っているときなどでもやっぱりこういうことはあるでしょう。


相談を受ける人が問題を解決できるように導きたいというような感覚が生じているのか、

なんだかお節介や教示的な側面がのぞくことがあります。


目の前の相談する人よりも指導する者や相談を受ける者がなにか一歩先んじている、

どこか有利に立っている、

どこからか醸し出されるその振る舞いがどこか「強い」感じになることも多いです。


勿論、

指導する側や相談を受ける側の本人はそんなことはない、

マウントをとっているつもりなどない、

といわれます。


それどころか…

これでもかというくらいへりくだっていたり、

下手に出ていることもありますよね。


しかしそれがかえってそうならない…


「強い」と感じてしまうのは相談をする側なのです。


事例指導者の役割を演じる・担う人は、

自分の存在や表情、動作、言動などの一つひとつが相手に与える影響に気づくこと、

気づこうと努めていることが大切なのだと実感します。


それは相手次第で全て異なります。

だからこそ事例相談者へ集中することが必要なのだと思います。


事例指導者が冷静に振る舞いあたかも適切なことを考え示してくれたとしても、

相手にとってその多くは主張が強すぎるだけに終わることもあります。


一例ですが、

人の問題を理解する枠組みに当てはめるなどして、

認知の修正をはからせたり、

新たな行動を啓発的に体験させたりして、

問題の本質をつかもうとかかわっている場合がありますが、

場合によってはそれ自体、

導こうとしている「強さ」を感じることがあります。


論述などでもこうしたケースは多く観察されます。


「囲わないでください」

こんな心の叫びが聞こえてきそうです。


相談にきている人が体験していることを共に味わうような、

そこに一緒になって留まることができるような、

目の前のその人が成長していくことを真に信じられるかかわりを私たちは磨いていきたいものです。


論述がうまく書けるとか、

ロールプレイがうまくいくとか、

そうした発想がもしあるとすれば、

それがその人の「主張の強さ」を生み出しているのかもしれません。


論述もロールプレイも、

もし、うまくいくという視点があるのであれば、

それは全て事例相談者の手柄なのでしょう。


事例指導者が凄いわけではないのです。


挑戦的な記事を描きましたが、

これはメッセージだけではなく自己統御を兼ねて日記にしています。