各地で梅雨明けの宣言がなされていますね。

福岡でも来週までには梅雨明けとなるのではないかと想像しています。

 

ただ、不安定なお天気でもあり、

突如天候が急変して、突風や雷雨などの被害にあうこともあります。

スマートフォンのアプリなどを活用し、可能な限り最新情報等を得るように、

個々での工夫が必要になってきていますね。

 

日々外出するような仕事をしていたり、

移動が伴うような諸活動を行っている方は特に注意が必要かと思います。

 

さて、今回の記事のタイトルですが、

研究テーマを掘り下げていくための準備を重ねていく中で、

様々な文献に触れることが増え、自分の中で考えが多様に展開されていきます。

自己の中にしなやか過ぎるくらいの細い軸があるからこそ、

揺れたり戻ってきたり、はたまた反対へ揺れたり、また戻ってきたりするのかな…と。

いつまでもこんな風でもいいかなとも思えています(苦笑)

 

私は講座の中で、

「1級の事例記録を読んでいく際、先ずは評価をせずに状況を掴んでみてください」

といった働きかけを、あえて受講者の皆様へ行うことがあります。

 

この「評価しない」で物事をみていくということが、

簡単なようでいて意外と難しいものです。

というか、できないのかもしれません。

 

つまり、

考えること自体、その人なりの偏見をもつことにもなり、

その偏見に自ら気付くことが大事なポイントなのだと思うこともあります。

 

偏見を持つことをネガティブに捉えることはないと思います。

誰でもその人なりの偏見があり、だからこそ考えるということになるのでしょう。

そもそも自分の考えを持つこと自体、ある意味偏見があるからこそなのかもしれませんね。

 

(こうした刺激を受けた時、自分はこうした偏見を持つのだな)

といった具合に、自分のことを自分でみていくようなイメージ。

 

また、その考え自体、あらためてみることもできるわけで、

それを自己の中で自問自答してみる、あらためて再び考えを重ねてみる、

このような思考の醸成を限られた時間の中で図ることができる訓練が大切なのだと思います。

 

これはリアルにグループメンバーがいれば、また異なった刺激が生成されます。

 

他者から受ける刺激が、自身の時間や思考の邪魔することもあり、

その時、自分の中に起きていることを味わう力がある人は、

物事を広くみることができているのかもしれません。

 

自分が思うように考えられない時、

自分の考えが誰かに阻害される時、

(こんな時間、無駄だよね。こういうのが苦手なんだよね。)

こんな風に他者からの刺激に対して嫌悪感を抱くことがあります。

 

例えば、無駄なこと…

と判断してしまう自分がいるとするなら、

それに気付ける自分を鍛えることも楽しいものです。

 

世の中、無駄なことなど何もない…という考え方もありますよね。

 

その人が体験する全てが、

その人全体を形成している一つにもなるからともいえます。

 

他者から受ける諸々の刺激は自分の人間的な成長のための機会ともなり得るでしょう。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定試験の論述過去問の事例内容から、

その時、自己が感じたり考えること全てに対し、

その価値・意義を色んな角度から考えてみてほしいと思います。

 

何事も、何度でも考えをあらためてみることが

「あなたの考え」として成長していくのではないかと思うのです。

 

…と、

 

こんな風に、私は自己の中で自分に問いかけていくようにしています。