筆者がカウンセラー養成コースを受講していたときに学んできたことを、
今になって、また改めて振り返る機会があったので少し日記にいたします。
これは本日の午前の講座説明会の席でも触れたお話しです。
※昨日の説明会ではお話ししていません。
例えば、相談してくれる人のお話しには、
生活、仕事、転職、異動、人間関係、家族、環境、介護、育児、治療、生き方そのもの、
実にさまざまな問題が語られることがあります。
そうしたさまざまな問題が複合的に絡み合っていることも少なくない。
簡単ではないことはキャリアコンサルタント職の実務家であればわかっていることだと思います。
それを(こんな時はこうするといい)(それはよくあること)(聞くだけじゃダメで展開しなきゃ)(相手が答えを求めていたらお土産をあげないと)というように、
信じられないほどに浅い水準で人の悩みをわかったように振る舞うことがあるとすれば、
これはもはや専門家とはいえないのかもしれません。
目の前の人が語ったことについて、
つい「わかった」ように振る舞うことがあります。
そうなるのが仕方がないというシチュエーションもあるのかもしれません。
本来、語られることがどんなにありがちなお話しだったとしても、
それを語る人にとってはそれが一大事であり、そして二つとない固有の問題にもなります。
しかしながら、
私たちは語られたことについて理解を示し、それをなんとか解決しようと、
自分自身の経験から形成された理解等の枠組みで、
簡単に「わかった」ような感覚に陥ることがあります。
そうなると、
実際には人の話しを聴けなくなってしまうのではないかと思うのです。
全く聴いていないことになるでしょう。
これって事例指導の面接においても、
事例指導者が陥りやすいところでもあります。
お話しが少しそれますが、
(キャリア形成支援はキャリアカウンセリングではない)
(キャリアコンサルティングとキャリアカウンセリングは異なる)
と表現する人も未だにいらっしゃいます。
それをわざわざ口にしている時点で、クライエントへのキャリア形成支援を、
自分自身の枠組み(知識とか経験等)に当てはめてしまっていることにもなります。
(話しを聴いていても何も解決しない)
という表現を昔から発する人がいました。
※ちなみに私がサラリーマンだった時の上司もそうでした…汗
もっと話しを展開させていけ!とおっしゃっていたことを思い出します。
※この上司は経営戦略論や人的資源論的な発想を振りかざす人でした。
これでは人の話しを「聴いていない」、
もしくは「聴けていない」のではないでしょうか。
(わかった)つもりになっていることは、
他者への心理的側面での支援ができないことにつながります。
お互いに気持ちが離れている、ズレているからです。
目の前の人が仕事やそのやり方等で困っているように見えても、
聴き手側は、自分の参照枠でしか理解できないことをわかっていることが重要です。
これが専門家としての必要な能力ではないかと思います。
他者のことを簡単にはわからないから、
わかるように、ずっと聴き続けることが必要、
そして聴くことが本当の意味で大事なのではないかということです。
だからこそ、その人その人の心情や知性が活性化し、
その人らしいオンリーワンな乗り越え方を見つけられるような成長変化を起こせるのだと実感します。
これはこれからのキャリア形成支援者への事例指導やスーパービジョン等においても、
同じことが言えると思います。
どんなに情報やテクノロジー等が進化したところで、
人間が持つ情緒や知性、精神面等は然程変わりません。
人のキャリア形成支援に必要なカウンセリングスキル、
アプローチというものがどういうことを指すのか、
表面的ではない理解を、
人間の心理的な学びを通してより深めていく必要があると思います。