昨日、4月1日(土)に行うオンラインライブセッション(公開事例指導面接)でのお相手(事例相談者)の方が決定いたしました。

 

「またとない勉強の機会である」

とおっしゃっていただき、本当に嬉しく、また感謝しております。

 

〇〇様、お引き受けいただきありがとうございます。

 

このイベントに予約をいただいた際には、当日参加いただく皆様同様、

ご自身が事例相談者になることは想像もされていなかったと思います。

ケースのご準備を含め諸々お手数をお掛け致しますが、

何卒よろしくお願いいたします。

 

当日参加いただける方全員で、

楽しい充実した学びの場にできればと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

さて、今回のブログタイトルについて記事を書きます。

 

事例相談者のキャリアコンサルティング(面談事例)について、

うまくいかなかったところの理由を事例指導者があれこれ聞き出そうとしているシーンを観察することがあります。

 

事例相談者が自らうまくいかなかったところの理由を言葉にしたいのであれば、

それは大切な成長機会にもなりそうですが、

事例指導者が事例相談者に対し、

わざわざうまくいかなかったところの理由を聞こうとすることは事例指導の意義が薄れるように考えます。

 

これは事例指導者側の態度や頭の中で考えていることが透けて見えてくる感じ。

事例相談者の問題探しを起点にしているからそのような発想が生まれるのかな…

とも思うのです。


〈いや、そうなる原因や理由を突き詰めていかなければ、そもそも次のどうしたらいいかがわからない…だから問題やその原因を明確にしたいのだ〉

と聞こえてきそうです。

それって指導者がやったら批判的なかかわりになることが考えられませんか?


事例相談者自らが感じたり考えたりすることは意味が深いと思いますが、

指導者がそれを考えたり言葉にしたとしても事例相談者の表面しかかすらないか、

または傷つけるだけかもわかりません。

 

事例指導とかスーパービジョンを考えていくとき、

指導者側に立つものが、

どうして相手(事例相談者等)のネガティブなところを探すのでしょう。


相手へ

〈うまくいっていないところに気づかせたい〉

という意識が強すぎるように思うのです。


うまくいかなかったところを気づかせるために指導者が指摘したり、

それを修正に導こうとしたりするシーンというものは、

指導という名と意味の捉え方にズレや勘違いを感じることも多いです。

 

例えばロールプレイなどの場面で、

事例相談者から「どうすればよかったか」と発せられたとき、

事例指導者(受検者)側が戸惑っているシーンもよく見受けます。

 

〈いやいや…あなたがしたことはそれはそれで決して悪くはないと思うのですよ〉

と事例指導者が慌ててなだめるような態度をみせるシーン。


そもそも善し悪しがテーマではないにもかかわらず、

事例指導者側が過剰にやったことがよいか悪いかへ反応してしまうことがあります。

 

せっかく事例相談者が自分が

「どうすればよかったか」

と改めて振り返ろうとしているのに、

それを制止させるような働きかけをしてしまうようになっている。


〈これでは方法論にいってしまいそうだぞ〉

と事例指導者が面接の流れにつまずきを感じ慌てているのかもしれません。

 

本来ならこういう時の

「どうすればよかったか」

という事例相談者からの問いはとてもポジティブな側面もあるように思います。

 

どうすればよかったか…

と考える事例相談者が本当にそこにいるのであれば、

多様な観点を考えてみたい…自分の事例で他のやり方等を考えてみたいとするサインにもとれるわけです。

 

逆に同じような発言でも、

他人任せにどうすればよかったんですかね…

とひねくれた感じに開き直ったような意味で言ってるのであれば、

元々それは双方の関係性が悪いのであり、

「どうすればよかったか」

というステージにはいないと考えます。

事例相談者が自身の面談を振り返りながら

「どうすればよかったか」

を真剣に考えている状態にはないでしょう。

事例指導者のことが気に入らない状態なのかもしれません。


事例相談者のより適切な振り返りを側面支援するのが事例指導者の役割でもあり、

事例指導は、いわば事例相談者の内省支援でもあるのです。


「どうすればよかったか」

真剣にそれを考えたいのであれば、

とてもいいじゃないですか。

経験を学びにして次なる行動につなげていけるように働きかけていきましょう!