第12回1級キャリアコンサルティング技能検定試験の合格発表(Web発表)まで、

あと4日間となりました。


郵送で通知書が届くのは早くて24日(金)??

もしくは週明けの27日(月)とか28日(火)くらいになるかもですね。

 

今日の記事タイトルですが…

試験結果を知ることが「こわい」ということがあるかと思います。

 

筆者も諸々試験を受けていますし、

これからも様々な試験が待っています。

自分が臨んだ試験の結果の発表日は「こわい」感覚もあるように思います。

 

「こわい」というより、

胸が高鳴り過ぎて過呼吸になる感じとか、

あとは『あぁ…神様…』なんて具合に自己の中で叫んでいたこともあります。

 

クライエントの支援に携わるとき、

そのひとが何を言おうとしているのかを理解しようとしながら、

クライエント自身が抱く感じをそのひとの立場で味わおうと心がけていきますよね。

それはクライエントが自己を受け入れられる機会にもなり得ます。

 

類似した感覚で、

自分がどのような状態にあるのか、

それを自身で受け入れることは大事なことだと思います。

 

例えば、

1級合格発表がいやだ、こわい、どうでもいい…

いろんな考えや感情があると思うのです。

 

そんな自分を真に受け入れることがとても大事です。

 

ただ「こわい」という感じをそのまま「こわい」としていても、

それが単純に自分の中でループしているだけで浅い感じです。

さらには自己の中で悪循環というか、

そこから抜けられない変な深みにはまる状態になることもあります。

 

「こわい」という状態のまま結果発表に向き合うことになり、

場合によってはあまりよろしくない自分が覆いかぶさってくることもあります。

 

「こわい」という自己を受け入れるためにも、

例えばペンと紙を手にしてアウトプットし続けてみることで、

自分の中だけでグルグルしていた感覚が外に出せることがあります。

その描かれた文字を眺めていると「こわい」自分を冷静に受け入れられることがあるのです。

 

改めて考えてみると「こわい」のはなぜかしら。

そんな思考段階になる自分を感じられることもあります。

 

試験結果を通じて否定されること、

評価されないことなど、いろいろあると思います。

 

自分が

「ここまでこんなにやってきたのに」

「これまでの努力が何にもならなかった」

等の見方になっているのかもしれません。

 

こうしたことは他者を通して様々なシーンで観察することもありますよね。

 

何かのスポーツ選手が

「結局は努力が報われなかった」と言う。

 

それを観ていたあなたは本当にそうだと考えるか…

 

〈そんなことはないよ…〉

〈たまたま運もあるよ〉

〈十分頑張ってきたじゃない〉


仮にこんな風に声をかけてあげられたとしても、

なんの癒しにもならないことは知っていますよね。

 

その本人がそう考えたり感じていることを自分で受け入れていく過程、

そして見方や考え方がいろいろあるということに、その人自身が気づくまで、

黙って見守ることになるかと思うのです。

 

こんなとき、視座、視点を変える力を発揮できるのは、

自己を受け入れられている状態にあるときだと思うのです。

 

もし何かが残念な結果だったとしても、

「ここまで真剣にやり切ったからこそ、今私はこんなに悔しいのか」

「これまでの努力が全てダメだったわけではなかろう」

「やってきたことが何にもならなかったわけではないのだ」

「持続する必要があるのだ」

と素早くスイッチを切り替えて前を向く方もいらっしゃいます。

 

何回挑戦したらいいのか…

という回数に惑わされる場合もあります。

 

この試験に限りませんが、

1回で合格の方もいれば10回以上受検されている方もいらっしゃると思います。

 

なかなか思うような結果が出てこないとき、

それをセンスの有無だとか、

合格すること自体が無理なのだから…

といった解釈は全く違うでしょう。

 

何かにとらわれているようにも思います。


例えば難関な試験などに合格された方は

共通して「諦めなかった」といわれます。

 

これまで1級ホルダーも2級ホルダーも標準レベルCCも、

結局、同じ類の水準のステージで勉強を続けてきています。

それが一番必要だったりします。


1級の資格をとっても基礎の勉強を続けることになり基本から卒業できるわけでもない。

 

1級に合格した途端、

1級の試験勉強から離れているのは、

ただ基本から距離をおいているだけかもしれません。

 

技能検定試験で常に合格を得られる技能水準を保てるかは、

毎年の試験問題と同等の基本課題において、

自ら実技実践できるスキルを磨いていくステージにも居ることが大事です。

1級の基礎学習を継続しながら学びの幅を広げ、

より深めていくことができるということは筆者自身もずっと続けていることです。

 

お話しが戻りますが、

試験結果が「こわい」というのは、

その一点に集中している証なのだと考えます。

 

この「こわい」にも少しつながるお話しですが、

インターネットで結果を確認するひと、

通知書を待つひと、それぞれいらっしゃるかと思います。

 

3月22日の10時(予定)に合否の結果が出ていることは間違えないでしょう。

要するに通知書を待ったところで結果は変わらないことはわかります。

 

通知書が物理的に届くというその待ち時間や過程を楽しむという人もいらっしゃるかと思いますので、

この記事でそうした方の楽しみ等を奪うつもりは全くありません。

 

筆者の場合ということで読んでいただけたら幸いです。

私はこういう場合の結果自体は早く知ろうと考える方です。

 

待っても結果が変わらないことから、

その情報収集をあえて先に延ばすことはできない感じです。

結果如何によって変わるわけではないと書きながらも矛盾している感じがしますが…汗

 

次の行動を整理していくためにも、結果は早く知りたいと考えます。

勿論、確かに「こわい」けれど。

 

絞り出すように画面をのぞきこみ、

目を開きながらそこに自分の番号があったときの瞬間。

 

それは大谷選手以上の雄叫びを上げてもいいのでしょう。

 

お仕事の都合や諸々のご事情等から、

通知書で確認する方は通知書を開いての雄叫びですね。

 

なにはともあれ、

日本各地から喜びの雄叫びが響くことを楽しみにしています。

 

合格発表が「こわい」という感覚。

この記事でちょっぴりでも緩和されているといいのですが…。