昨夜は今年初めてのオンライン対策講座を開催いたしました。

 

19名の参加者様にお集まりいただき、

21時30分過ぎまでご一緒に学びの時間を過ごしました。

ご参加いただいた方へ心から感謝申し上げます。

 

様々な価値観、ご経験をお持ちの方が、

1級キャリアコンサルティング技能士を目指すという目標を持って一堂に会しますので、

当然ながらそれぞれの思想の異なりなど色々あります。

 

事例指導者と事例相談者の役割をそれぞれ1回ずつ実施し、

都度、口頭試問、そしてフィードバックを考えながら行っていただいています。

 

各自ペアを組んだパートナーのことを大切に考え、

他者尊重、関係性重視の原則を意識してかかわっていらしたことが伝わってまいりました。

そして省察的実践や多元的主義に基づいた面接展開につながっていくのだと改めて感じています。

 

例えば、こうした学習時間を受け身で過ごしてしまうと、

セミナーや講座等に参加していたとしても、

ネガティブな出来事に出会ったとき、

愚痴や不満、違和感を感じてしまうこともあるでしょう。

 

私がサラリーマンの時代、企業研修が役職によって当然のように定まっていて、

多くの方がやらされ感覚で該当研修に参加していたシーンを経験しています。

※今もそんな企業研修等がありますが…苦笑

 

「あの講師の話はつまらないよね」

「あのひとと一緒だとつまらない」

などと受け身で時間を過ごしているケースがあります。

これでは時間の無駄かもしれませんし、周囲に迷惑をかけていることにもなります。

 

キャリア形成支援者や指導者を目指す場合、

他者等外因的な部分に注目してネガティブに評価する前に、

「せっかくの時間と出会いなのだからよい時間にしよう」

と自分の中でその場を充実させていくコントロールができる、

そうした人間性を養っていくことも必要なことだと思います。

 

これは何事も一緒でしょう。

 

ひとの幸せを願う心が備わっているひとが、

他者のキャリア形成に携わっていると信じています。

 

こうして考えてみると、

今回のブログ記事に掲げたタイトルにつながるわけです。

 

そもそも事例相談者と事例指導者が対面し専門家同士として面接を実施する際、

事例指導者の役割にある方は、少なくとも問題ありきで事例相談者とかかわること自体、

何かずれていくように思います。

 

問題は最初からあるものではありません。

「問題を見出すわけではない」と考えてみることもありだと思うのです。

 

例えば、

事例相談者自身が「何か問題でもあったのかな」と考えているとき、

事例指導者までもが一緒になって「問題を見出そう」としなくてもいいでしょう。

 

事例相談者自身が自ら問題を生み出すことなのではないかと考えます。

 

実践から創発・探究しながら理屈というか理論的な考えに置き換え、

またそれに修正を施しつつ実践をイメージしていく。

※実践的に必要に応じ理論的な考えを変えることも大事です。

 

だからこそ第二、第三の考えを聞いてみることで生み出せることもあります。

 

事例相談者が主体になってそうした考えを巡らせることが重要であり、

事例指導者がマウントを取るようにして何かに気づかせていくわけではありません。

 

問題とか課題を明確化するために面接をしているだけでは、

事例相談者にとって建設的な営みではないようにも感じます。

 

試験では「問題は何か」と聞かれるのだから問題把握をしなければ…

と考える指導者では少し短絡的すぎるようにも思います。

 

「問題は何か」と問われても、実際には事例指導者が問題解決を行うわけではなく、

事例相談者が何を問題として取り組みたいのかによってその行動は全て異なります。

 

いろんな答えがあっていいのではないでしょうか。

 

すると事例指導者が考えついたことを事例相談者に押し付けるよりも、

事例相談者が自ら生み出した問題に取り組んだ方がよほど効果的な成長が期待できます。

 

やったこと、わかったこと、次にやることを回してみれば、

キープしたいこと、トライしたいことが徐々に明確になり、

だからこそ課題や改善点が生み出せるのです。

※そしてこれがまたトライしたいことの絞り込みにもなります。

 

こうした実践的なかかわりは事例指導にも役立ちますし、

なんといっても事例相談者が自分で成長したい自分をイメージ創り出せるので、

俄然、やる気パワー満載になれます。

 

事例指導とは、

事例相談者のプロとしての振り返りのお手伝いをするだけではないかと思うのです。