事例指導者の面接がひとつのスタイルに偏っている場合、

事例相談者のニーズに届かないことがあります。

 

かくいう私もそうした経験を幾度もしていて、

常に反省的振り返りを繰り返しているところです。

私の場合、講師業の諸活動が多く、

複数の学習者様の前で話しをすることがあります。

 

大切だと思っていることに、

《全てのひとのニーズを満たすことは困難である》

ということ、そしてそうした自分の未熟さを自覚していることだと考えるのです。

※困難だから諦めるということではありません。

 

興味深い研究データがあります。

 

例えば、

指導者からネガティブな指摘を受けたとき、

《カチン》ときたり《ショボン》となりやすいときがあります。

その怒りも凹みも、いずれも承認欲求が強い状態にある可能性があるかもしれません。

そうした状態にあるときは、実は自分自身も他者に対して同じことをする(ひとにネガティブな指摘をする)傾向があるというのです。

 

いかがでしょうか。

 

実際、私もそういうところがあると自覚しています。

よって講師として立つとき、

そのようなスタイルをとってしまうこともあります。

ですから私自身も先生等から指摘を受けたりすると、

抵抗感を覚えるときがあるのです。

※大なり小なり誰でも似たような感情はお持ちでしょう。

 

ただし、私が教えてもらってきたことにはとても大事なことがあります。

そのひとつを記事に紹介してみます。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定の面接試験等においてもなにかお役に立てば幸いです。

 

あるテーマ等について相手(事例相談者)が自己の中で

「概ね自分ができている認識・感覚を持つ」場合、

それが指導者とある程度一致していたり、

それを超えるような思考や行動等が示されたときは、

純粋にその点を意味づけたり価値づけたり、

さらに伸ばしてもらえるように働きかけに工夫できることが大事でしょう。

 

相手が自由に振る舞えることを目指し、

またあるときはよい意味で励ましていくかかわりにもなるでしょう。

こうした事例指導者のスタイルは比較的関係性にも安定感があり、

相手の思考が止まらずに解放された発想が生まれやすくなると思います。

 

反対に相手が

「自分はダメ・全然できてない」

というように自己の評価が低いときの場合、

指導者が励ましたりできていると評価することは逆効果ですよね。

これでは普段の生活での一般的な会話になってしまいそうです。

 

こんなとき事例指導者がとにかく聴き手にまわることを大切にしたり、

どのようなときにそう考えるのか…相手の中にあるものを大事に理解しようとする誠実さが何より必要でしょう。

 

もうひとつ挙げます。

 

前述した最初の事例と同じような相手の状態

「自分はできているとした認識・感覚を持つ」

の場合でも、それが指導者と認識が異なる場合があります。

 

つまり指導者からすると修正しなければならないと評価できるところが明確にある場合です。

相手が自分で正しいと思い込んでいるわけですから、これは本当に難しい。

事例指導の面接ではわりとありがちですよね。

 

相手の状態や自分との関係性によって様々なステップを行き来することが必要かもしれません。

 

ただ、相手の成長のためにも限られた時間の中で伝えなければならないこともあります。

間違っていることがあれば放っておいてはなりません。

 

ここで一番大切なことは、目の前の相手のことをプロとして信じているかです。

さらに事例指導者側の主張に事実と根拠が揃っていること、

そして途中でそのテーマを諦めないことなのです。

 

決して相手を説得するのではありません。

何のためにそれを修正するのか、それが共有されていることが大事です。

 

それでも相手が去ってしまうことはあります。

残念ですね。

つまり全ての相手のニーズを満たすことは難しいということです。

 

だからこそ決して指導者側から諦めないことなのです。

相手が去ることがあっても、プロの仕事をするときはこちらからは去ってはなりません。

その覚悟が必ず指導者としての成長にも、

そしてより善い人間観にもつながるのだと教えられました。

 

ざっと大雑把な指導スタイルを文字にしてみましたが、

読者の皆様も色々なお考えがあるかと思います。

 

事例相談者が求めていることはケースが一緒だったとしても人それぞれで異なるものです。

 

事例指導者は事例相談者をみて感じて、

精一杯の理解と愛情をもって面接に臨むことくらいしかできません。

 

だからこそ任せたり委ねたり支持したり、

そして場合によっては修正するための指摘や助言も必要になるのでしょう。

 

決して指導者が自分自身を守るために行なわれることではありません。

そういう意味では事例指導者のスタイルのあり方やその態度は一貫している必要もあると思います。