本日から3日間、
横浜にて1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座を開催いたします。
11月の対面型プログラムでは論述のCVCLABオリジナル事例を使った模試を実施し、
その後、グループワークでそれぞれの視点や考えをシェアしながら整理していただき発表、
そして講師の視点を確認していただきながらご自身の考えを深めてもらいます。
午後からは面接試験の対策としてロールプレイと口頭試問を実践していただき、
さらには短時間でのフィードバックの練習もします。
福岡、大阪と同じプログラムを実施してきましたが、
日によって全く異なる現象が生じていますので私自身も多くの考えや気づき等が生成されていきます。
受講者様の中には2日間参加される方もいらっしゃり同じようにその異なりを体験されていることと存じます。
11月の対面型講座のプログラムはこの3日間で終了となります。
受講者様には横浜会場までご足労をお掛けいたしますが、
皆様にお会いできることを心から楽しみにしています。
さて、本日の記事タイトルですが、
少しだけ挑戦的なお題になっていると感じています。
最近、キャリアコンサルタントに向け
「スーパービジョン」というワードについて
メッセージを発する専門組織や専門家の方が目立ちますよね。
メルマガなどを含め各団体から毎日のように何かしら配信されてきます。
私がこのブログを始めた頃(6年前)は、
事例指導やスーパービジョンに関する告知等を見かけることが本当に少なかったです。
※一部の組織団体では早くからスーパーバイザー養成を本格的に取り組まれていましたが、
同じ団体でも、現在のような宣伝告知みたいなものは皆無だったと感じます。
告知の受信側からすると、
流行、時流、法則、原則のようにも感じてしまうこともあるかもしれません。
これでは本末転倒ですね。
私個人的には色々書きたいこともあるのですがここではあえて控えておきたいと思います。
この記事ではスーパービジョンではなく、
「事例指導」という言葉の定義を現場視線で私なりに考えて書いてみます。
なお、このようなことをそれぞれで常に考えていることは、
1級技能検定の実技試験対策においても大事なことにもなります。
例えば、口頭試問において
「今回のロールプレイを通して今後あなたはどのように研鑽していきますか」
と問われたとしましょう。
日頃から考えていることで、その場で体験したロールプレイや事例などから、
これからの社会に目を向け、そしてキャリア形成支援のあり方について、
自分が1級ホルダーとしてどのような影響を与えていこうと考えているのか、
そのためにどのような学習を積んでいくべきか、
真剣に伝えていくことができるかもしれません。
そうしたことが大事で、予め試験のために用意していたような表面的な台本では、
その場のライブで体験したことが抜けてしまいます。
事例指導とは
《実践家としての熟達者(事例指導者)によって、現場実践家(事例相談者)に対し実施されるキャリア形成支援職としての成長・育成を行う過程》
これが今の私が考える表現になります。
その目的は
●キャリア形成支援者の育成
●キャリアコンサルタント全体の実践力向上
となるかと思います。
現在CVCLABではこのように考え、
試験対策講座を実施したり他団体様や組織等のお手伝いを少ししています。
これは元々某業界における企業組織とその従業員への現場サポート諸活動等から体験を重ねてきたもので一貫して軸にしていることでもあります。
カウンセラーやキャリアコンサルタントの業界に教えていただく前から実践していることですが、
現在においてはキャリア形成支援の学びを中心にして、
その軸を太くしなやかなものに変化させています。
そしてこれはこれまでお世話になった団体や先輩や同期、後輩等から刺激を受け、
学び続けてきている経験から得られているものだと信じています。
事例指導は、
事例相談者と事例指導者との間で専門的な支援関係の中で展開されることが基本になります。
事例指導関係自体は、実際には、契約と過程、相互作用によって成立するといえます。
特に相互作用について考えると、
事例指導者が一方的に助言やアドバイスなどを提示するものではなく、
また、事例相談者もそれを一方的に受けるものではありません。
事例指導者の大切な役割として、事例相談者の成長・発達段階を観察しながら、
その状態に対して適切な態度や言葉をかけていくように心がけます。
相互に作用し、
また言語によるコミュニケーションを交わしながら事例指導が展開していきます。
だからこそ事例指導でも人間的な関係性を土台にすることが大切になるのでしょう。
その点を常に深く考えることが事例指導の原点でもあると考えています。
『理論や技法は人を癒さない』
石﨑先生が教えてくれた好きな言葉です。
勿論、理論や技法を軽視することではありません。
深い心を指すのだと考え学び続けています。