本日も大阪にて1級キャリアコンサルティング技能検定試験対策講座を開催いたします。
昨日と同じく少し広めの会場で、8名の受講者様と学習できる予定です。
予約をいただいた方は会場まで気をつけてお越しください。
皆様とお会いできることを心から楽しみにしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、今回の記事ですが、
10月20日にこのブログでアップいたしました私のオリジナル事例(論述練習問題)を使い、
「事例相談者が抱えている問題」についてひとつの視点での考えをご紹介します。
なお、ここでは事例指導の根底をなすこととして、
自分の考えを示す際、
・ロジカルに正しいを主張する→悲しみしか生まれない
・事例指導での関係性やその考えに優劣はない
・至らないところを謗るのではない→いい面にフォーカス
・専門家同士聴き合う関係→響き合う関係→心を心で語る
事例相談者とお会いする際、事例をお預かりする際、
論述だろうと面接だろうと人のケースを扱うときの姿勢として、
事例指導者もそこから何かしらの学びを得られるということを忘れてはなりません。
これは事例指導者の役割を担う者の大切な姿勢ではないかと私は考えます。
結果を意識しただけの実技試験への臨み方では、
それは愚かな態度を生み出すこともあるから注意したいところです。
《試験なんだから60点、70点取れれば十分》
こうした考えをお持ちのキャリアコンサルタントの方がいらっしゃるかもしれません。
結果志向が強い方が、人へより良いキャリア形成支援を提供できるのか、
キャリアコンサルタントの実践力について本質的な向上を心底願えるものなのか、
改めて考える機会が増えました。
1級合格という明確な目標を持ち試験に向き合うことが効果的なこともあります。
合格に向かって脳が有益な情報等をキャッチしやすくなるのだと思います。
反面、悪影響を与えていることも多分にあります。
ご自身に普段有り得ないようなプレッシャーをかけていることにもなっていることを忘れてはなりません。
論述やロールプレイで普段の自分がどこかにいってしまっている…
試験対策がきっかけになって本意でない自分が出てきたり、
こんなはずではなかった自分が飛び出してくるようなことがおきます。
いつの間にか1級合格の目的と手段が入れ替わってしまっている場合、
上記のように《合格できれば60点、70点で結構…》という発想が出てくるとも感じます。
そうした姿勢の専門家にクライエントは自分の人生を相談したいと思えるのか、
他のキャリアコンサルタントが専門家として人間性や技能を向上させたいと考えたとき、
上記のような姿勢をもつ指導者のもとへ指導を受けに行きたいのか、
相談しようかと悩む人の側に立って考えてみたいことの一つです。
だいぶお話しが遠回りしてしまいましたが、
事例指導者としての役割を成す際、
根底にあるものとして共通なる大事なポイントだと思い書きました。
こうした考えを土台にして
「この事例相談者が抱えている問題は何か、あなたの考えを記述せよ。」
と問われ何を考えるでしょうか。
《問題をいかに把握できるのかが問われているのだ》
と一つの方向で自分の視点を考えていく方もいるでしょう。
それがいけないとかいいとか、そういうことではなく、
他の見方もあるよね…と自分で考えてみることは面白いことです。
物事には「あなたの考え」といっても、
相手の考えをあなたが表現できることが大事なことも多いものです。
この事例相談者は事例指導を受けようと考え、事例をまとめて来ているのだから、
事例相談者本人が認識している何かしらの問題なりを抱えているわけです。
それを言葉にしながらそこにつながる指導者視点での問題を表現できると実技として有効ではないでしょうか。
こんな風に自分の考えを膨らましてみることも大切です。
「あなたの考え」を求められているのですから、
例えば、上記後者のように考えていくことも「私の考え」となるわけです。
このように筆者は考えています。
両者の視点からみての問題、課題を整理し、
改めて事例相談者を中心にした考えをもとに、
そこにつながる私の視点を提示するという具合です。
なんといっても事例指導のセッションにおける主役は事例相談者です。
実践において事例指導者が中心になって問題を提示したところで、
事例指導として成立しないことが多いのです。
10月20日にアップしている事例(ケース)の内容から、
「この事例相談者が抱えている問題」を考えてみます。
この事例相談者が記述した
(契約している組織との関係性も気にはなる)という表現から何が読み取れるでしょう。
事例相談者は、自分がキャリアコンサルタントとして相談者の自律的な決定を尊重する支援を果たしていると信じたいところがあると思います。
※事例の記述内容から読み取れるところがあります。
支援内容として、
相談者が働く意味を見出せないこと、思いも薄れ疲弊している状態を受け、
転職について悩んでいることに焦点を当て、
支援していく方針を立てたことが所感に記述されています。
なのに、相談者の来談がなく連絡も取れない。
事例相談者としては(何がいけなかったのか)と自己評価と現実に不一致感があり、
腑に落ちない状態にあることが伝わってきます。
これも抱えている問題を把握する一つの手がかりにもなるでしょう。
事例相談者としては契約している企業組織との関係性が気になりながらも、
相談者個人の支援に集中したのにどうしてこうなるのか疑問が残っているようです。
(何がいけなかったのか)と叫びたくもなる気持ちがあるかもしれません。
少し視点を変えてみると、この事例相談者は相談者の来談経緯に
(元々営業は合わないと思っていた。最近上司が変わり一層仕事が嫌になった。会社を辞めて転職すべきか悩んでいる。)
と記しています。
それで会社の契約しているキャリアコンサルタントに相談にきたという経緯ですね。
その相談者に事例相談者が行った支援は上記の通りです。
つまり今の会社に計5年間働き、そのうち2年は元々合わないと思いながらやってきた相談者がいて、最近の出来事によって一層仕事が嫌になったということでした。
本当に会社を辞めると決意している人は既に行動に移しているかもしれませんが、
この相談者は会社が契約しているキャリアコンサルタントに相談にきたということです。
どこかで会社を辞めたくない気持ちも残っている可能性は「踏ん切りがつかない」というような言葉からも滲み出ている感じもありますね。
つまり相談者のことをどこまでわかっていて、わからないことは何か。
事例相談者がそこに向き合う必要があるかもしれません。
この事例の内容において、
相談者のことを知る必要性があるところはどんなところにありそうでしょうか。
それがもしできていなければ、
(何がいけなかったのか)という疑問が少しは軽減されてくる可能性があります。
事例相談者が
(自律的に選択できるように支持する)
(意思決定の主体者)
(本人の主体的な決定を肯定的に支援)
といった表現を幾度か記しているところから、
そこへのこだわりは強いことが窺えます。
事例相談者が相談者を観察した報告として、
(コミュニケーション不足の感じがあると気になったが、
仕事に対して思いも薄れ、疲弊している感じがあったので…)
と記録してくれていますよね。
弱っているから相談者の持ち前の明るい性格が生かされない状態にもあり、
物理的にも精神的にもコミュニケーションが取れなくなっていることも想定できそうです。
つまり(思いも薄れ、疲弊している)という点の見立てがとても大事な気がします。
その状態の相談者に対し、事例相談者が行った支援が
(自律的、主体的な決定をしてください)
となると、相談者の求めと事例相談者の思いが一致していないように感じます。
なぜこのような支援になったのでしょうか。
そこに事例相談者の成長課題が隠れている気がします。
読者の皆様もご一緒に色々考えてみていただけたらと思います。