今夜はオンラインで1級キャリアコンサルティング技能検定の論述試験対策講座を開催いたします。


9月のプログラムでは、

CVCLABオリジナルの事例(8月にご提供した事例とは異なる架空のケースです。)を論述選択問題形式でご提供し、

講座受講者の皆様のそれぞれのお考えを個人ワークで整理し、その後グループでシェアしていく時間を繰り返しつくっていきたいと考えています。


いろんな人の考えを聞きながら、

ご自身の中での新たな気づきや視野の広がりにつながることが多々あるかと思います。


そして私の考えなども皆様にお聞きいただきながら、皆様とご一緒に検討を重ねていきたいと考えています。


今夜、予約をいただいている方は楽しみにご参加くださいね。

どうぞよろしくお願いいたします。


お話しは変わり、

昨日放送大学から科目登録決定通知書が届きました。



2022年度 第2学期に受けようと考えていた授業です。

詳しい方はお気づきになられたと思いますが、

今年度の後期は放送授業の選択を少なくして、

なるべくリアルな面接授業やオンライン授業を選択いたしました。


私の分野におけるキャリアコンサルティング実践に役立つ授業ばかりです。


家庭や仕事、ボランティア活動や他の勉強などの諸活動をしながら、

半年で専門的な授業を22単位取得するということは結構大変なのですが…


結局、学んでいることは全ての活動に繋がることばかりなので、

重なっていることが多く、特に別のことに取り組んでいるという意識がないのが面白いです。


私は決めてしまえばわりとできてしまう方なので、ちょっと気合いを入れて頑張ろうと思っています。


さて、本日の記事のタイトルなのですが、

なにやら少し意味あり気な表現ですよね。


タイトル決めに少し工夫しています。


先日、日本キャリア・カウンセリング学会主催の講座で「私のカウンセリング哲学とスタイル」を考える機会がありました。


そのときに考えたことなのですが、

キャリア形成支援者を生きようと決めた背景には、

多くの方が

《人の役に立ちたい》

《困っている人を助けたい》

という他者を援助することを動機のひとつにしていることが多いと改めて認識を深めたものです。


これは自分も大きく当てはまることであり、

その経験を自己開示する機会をいただきました。


同時に私の中では

だからこそ本来の支援になっていないのではないか…

といったいった疑問もわいてきています。

※これは学習の場やレポート等には表現していません。


あくまで私のケースについて感じていることです。


その困りごとや悩み事などを軽減したり、

そのとらわれなどから解放できるように支援したりすることは、

その多くの場合が[ありがとう、助かりました]という反応をいただけるかもしれません。


困っている人を援助することが人の役に立つという、一見当たり前のようなお話しです。


しかし、

それは本当にその人自身が成長したことになるのか…と考えてみると、

何か大切なところを見逃してしまっているようにも思います。


その人が本当に悩んで苦しんでいる本質的なところ、

その悩み苦しむ自分自身の感覚やその体験自体にアクセスせず、

単に避けただけになるのかもしれないということです。


そうすると場合によっては、

その人自身がまた同じような事態に見舞われたときの耐性が整わないというか、

そのときに自力で乗り越える力が養われたことにはなり難いのかもしれません。


つまり私たちキャリア形成支援者は、

その人の苦しみを軽減したり、

例えば問題を解決したりする仕事を提供するわけではないということです。


なんとなく人の役に立っている行為をして満足が生まれるのかもしれませんが、

実はそれでは普段の一般の仲間がサポートしていることと何ら変わりはないのかもしれません。


それを改めて考える機会となりました。


相談する人が悩み苦しむ事態、

問題となる事柄、様々な内容があります。


その体験や頭に刻み込まれたものをその人自身が自分で扱えるように側面支援することがどれだけ重要なのか、

それをその人自身が受け入れていけるようなかかわりはその人の発達にとっても必要なことなのでしょう。


そのような支援ができるには、

もっと心理的な支援のあり方を深めていくことが必要であり、

これはスーパービジョンや事例指導においても同じことがいえるのではないかと考えました。


単に苦しみから解放できればよいわけではない。

問題をあぶり出してそれを解決できるようにすればいいわけでもない。


その人にとっての個別な経験を扱うことの大切さを改めて考えています。