先月や昨日の講座でも出てきたお話しなのですが少しご紹介いたします。

 

《相手「事例相談者」への質問が下手なんです》

という自己評価をされることがあります。

 

《質問を上手にしたい》

《質問が上手にできるようになりたい》というニーズは、

キャリアコンサルタントにとても多い気がします。

 

そして先生方もそれを求め言葉にされることも多いです。

 

かといって、

会話上達術の講座とか、コーチングとか、アサーショントレーニング等とか、

何かに通ってそうした質問力を高めた方がいい…

これではなんだか元も子もない気がします。。。

対話力を身につけるということは、そういうことでもないんですよね。

※勿論、そうしたスキルを意識できるようハウツー勉強をすることもありだとは思いますが…。

 

形から入ることもいいのですが、しかし結局形ではありません。

※講座やセミナーが悪いということではなく、

何かに通ったところでその本質が掴めていない場合、

何も変わらないこともあるでしょう。

 

個々の相手のことを真剣に理解しようと考えているときは、

それは当人にきかなければわかりません。

質問するしかないでしょう。テレパシーでわかるわけでもありません。

 

さらには、その肝心の相手が、

『こんなところをわかってほしい…』と思っているところを理解できなければ、

こちらの勝手な都合で相手のことをわかろうとしているだけでは、

相手が置き去りになってしまうこともあります。

 

自分が中心にあるとき、相手のことを理解しようと本気で思えるには、

なかなか難しいものかもしれません。

 

視点を変え、

 

相手にプレッシャーを全く感じさせない質問が極自然にできる…

こういうカウンセラーっているんです。

 

こういう人はとても質問力が高いと思います。

 

このような専門家の共通点には、

自分の考えている方向に話しをもっていかないことがあります。

 

というより、

 

そもそも相手と向き合っている際、

その人には自分自身の考えが一切ないという表現が適切な表現かもしれません。

目の奥をのぞいても潜んでいるものが何もないのです。

 

だからこそ相手は自身に素直に向き合えるようになるのではないでしょうか。

 

私たちは質問をします。

 

質問を受ける相手はその質問にプレッシャーを一切感じないことが重要です。

自然に素直になれることです。

 

質問をする人が、意図をもち、そこへ導こうとしているのであれば、

質問を受ける側は、その意図にプレッシャーを受けながら応えます。

 

場合によってはそこに違和感を覚え、

居心地の悪さや抵抗しなければならない何かを感じていくことになります。

 

私たちのその場その場での生きた質問によって、

相手が自分自身に向き合うことができ、

そして考えを整理していくことができるようになるには、

私たちが一切の邪魔をせず、相手に真から関心を抱いているからこそ成立する現象です。

 

「相手への質問が下手なんです」

と自己の評価をしているうちは、自分自身に目が向いている状態かもしれません。

 

そして相手のことに真から興味を抱いている状態には自分はないのだと理解できることが、

最初の一歩なのかもしれません。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定試験でも、

例えば口頭試問の場面で、

『今回のロールプレイでよかった点、改善したい点はなんですか』

と問われ、

自分自身のよかったと思うところと悪かったと思っているところを終始自分中心に話しをする場合があります。

 

「30分間のロールプレイはあなた自身だけの時間ではないんですよ!」

と誰かが違和感を抱くかもしれませんね。

 

30分間の面接の時間が成立したのは、

事例相談者役の方がそこに存在していたからなのです。

 

ロールプレイの30分間が事例相談にきた方の成長支援のための時間だとすれば、

口頭試問のよかった点も改善点も、

全ては事例相談者の方にとってどんな効果があったのか、

そして何を改善すれば、より良い事例指導の時間を過ごすことができたのか、

絶えず事例相談者との間でより良い支援を検討している姿勢が事例指導者にあるかどうか。

 

二人で共同作業で過ごした時間を自分中心での評価ではなく、

事例相談者中心に考えられるかどうかが指導レベルのコンピテンシーにもつながってくるのだと思います。

 

相手のことをわかろうとしていくには、

そうした自問自答ができることが求められていると私は考えます。

 

質問を上手に行うことは、

決して相手のことを正確に探し当てていったり、正確に理解することではありません。

 

お互いの理解のずれていたところや異なっていたところをお互いに分かり合っていき、

それを必要に応じて修正していく営みであると思います。

 

それが相手を理解していくこと、わかろうとしていくことの積み重ねでもあると思います。

 

「質問を上手にする」

ということは決して間違ってはいけないということではないので、

「上手にする」といった捉え方も今一度見つめ直していく必要があるのかもしれません。