《褒めてはダメ》
《褒めては人は育たない》
と決めつけてしまうことがあります。
それは健康状態や場面によって変わったり、人と人との関係性が影響していたり、
そのときの捉え方やそのときの心のあり様などによっても大きく異なるでしょう。
単に《褒めてはダメ》と表現することはよくないのかもしれません。
様々な研究データも存在しますが、
中にはどこか極端な実験場面をつくっておこなわれているものもあり、
その結果等から理論化されていたりもします。
褒めることが良いとか悪いとか、
そういうことではないと実践を踏まえ振り返ることがあります。
読者の皆様はどのようにお考えでしょうか。
さて、褒めるというのは、
何か目的があってすることなのでしょうか。
なんのために褒めるということを行うのでしょう。
例えば、
組織の中で部下をうまく褒めようとか…
仮に、
他者の考えや心をコントロールするためにやっている行為であるとすれば、
それはちょっと違和感があります。
何か狙って褒められること自体、上辺だけで気持ちが悪いかもしれません。
人のことを何か褒めるとき傲慢ではいけない。
上から目線で褒められると嫌な気分がわき起こります。
学習者同士でロールプレイセッションを実施していて
《褒めらることは嬉しいけれど…なんかこう…》
という煮え切らないフィードバックがあると気になるものです。
何か褒めるって、本当に感激しているとき、琴線にふれるとき、
真から純粋になって極自然と心からの言葉が出てきてそれが相手に伝わるものですよね。
本来、褒めるという意識自体ない方が健全な感じもします。
そもそも褒められたと認識するのは褒められる側であり、だからこそ本気で嬉しい。
褒めようとする側が褒める意識をもって幾分操作的におこなうことは、
褒めた相手にポジティブな反応を求めている行為に近いものだと感じます。
少しお話しを変えますが、
他者への動機づけなどのために意図した働きかけを行うこと自体、
心理的支援からかけ離れていくのだという見方もできると思います。
人を動かそうとする様々な理屈や論理等はいろいろありますが…
それは違うところでやってほしいという感じもあります。
〇〇効果を活用しよう!
というような講習やノウハウ本等、世の中には本当にあふれています。
それを鵜呑みにしていることもある。
そしてもしそれが1級キャリアコンサルティング技能士ならばよろしくない感じもします。
人が育つのか、動くのか、動機づけられるのか、
そんなことを企んでいること自体、
もしかしたら間違った方向をつくり上げてしまうのかもしれません。
1級キャリアコンサルティング技能検定試験の準備に取り組む際、
《こうすれば合格する》
などといった考えをもつことは、実は上記のことと関連していると感じます。
今回の記事では、
自己の学習動機づけについて少し書いてみたいと思います。
先ず、自己による自分への動機づけをすることについて。
心理学では内発的動機づけが大切だという傾向があるように感じられることもありますが、
実際には外発的動機づけはとても大切です。
これは多くの方が実体験しているでしょう。
《へ??内発的動機づけが大事じゃないの???》
こんな風に考えた方は注意が必要かもしれません。
それ自体が視野を狭めてしまっていることもあるから注意が必要です。
一例として…
クライエントが組織での昇格のためにあるプロジェクトについて頑張っていた。
取り掛かっていくときの動機はとにかく上昇志向が全面に出ていた。
ここでキャリアコンサルタントが
《この人は外発的なものにとらわれてしまっている》
とネガティブに見立てたとしたらキャリア形成支援になりませんよね。
このクライエントの視点で続けますね。
最初はそのプロジェクト自体にはあまり関心はなかった。
しかし、いつのまにかそのプロジェクトの内容に没入し始め、
関係することをいろいろと学び深めていった。
気がつくと最高のプロジェクトに成長して大きな成果を上げている。
クライエントは組織での昇格等とかではなく、とても大切なことを見つけたとのこと。
自分がここで何のために働いているのか、
どうありたいのか、自然に自分のことを見つけていました。
組織としてもプラスとなったことでありクライエントにとっても成長につながっている。
それは外発的動機があったからこそ内発的動機も生まれたのだと言えます。
1級キャリアコンサルティング技能検定試験に合格するという一つの成長目標があります。
それがなんのためであるかは人それぞれですね。
明確な目的がないこともあります。
なんでもいいから外発的動機をつくることも大事なのですね。
とにかく1級に受かりたい!
そうした外発的な動機があるからこそ、
何か新しい学びに関心が深まっていくこともあります。
その学びは内発的でもあり、そしてそのスキルが上がっていくことで結局1級合格も達成していた!
なんてこともあります。
勉強は嫌だな…と本気で思っているのであれば、
それはやっていてもあまり効果的ではないこともあります。
《それをやらなければ1級に合格できない》
そんなものは何もないように思います。
1級の試験は困難なことを求められているわけではありません。
なんとしても1級に合格したい。
それを叶えるには、
他者へのキャリア形成支援を真心で出来ることが一番だと私は思っています。
前述したように出会えた人に可能な限り本気の関心を抱けること。
それは全ての理論や経験等を超える、その人だけの厚みとなり得るのだと信じています。
ということで、それには、
先ず、自己の学習動機づけを一番大切に考えてみる。
それがよいのではないかと思うのです。
もし自分のことがあまりよく思えない場合、
こんな風に考えてみることもありかもしれません。
自分の圧倒的な味方は自分であり、
その自分と不和を生じさせているのはなぜなんだろう…
と自問自答してみる。
自分自身と闘う必要などない気もします。
一番の味方を傷つけているとすれば、それはなぜなのか。
私自身、青年期時代に自分を追いやってしまうことがあり、
自分の味方は自分なんだよね。
と気がついたことがあります。
それは自分のことを真に好きになるひとつのきっかけにもなるかもしれないのです。
本気で自分のことを褒めていきたいですね。
だからこそ他者を好きになれるのではないかと、
なんとなくこの仕事をやっている意義みたいなものにつながっています。
だからこそ自己の学習動機づけも維持され促進されているのだと思います。