大雨の影響があり大変な地域があります。
読者の皆様のお住まい等ではいかがですか。
私事ですが、昨日は仕事で終日都内にいたのですが、
どうしても昨日中に福岡へ戻る必要があり、
飛行機の最終便に間に合わない可能性があったため、
品川駅から東海道新幹線に乗車して博多へ帰る予定でした。
昨夜、品川駅に到着した際、
新幹線の改札口近辺があまりの人混みで…
尻込みして近寄ることを避けたのですが、
その尋常ではない混雑の原因は東海道新幹線の運転見合わせによるものだということがすぐにわかりました。
急遽ネットで飛行機を手配、同時に羽田空港まで大急ぎで移動。
不幸中の幸いというか、
飛行機も遅延していて飛行機の搭乗時間には間に合いました。
世の中、諸々計画通りにはいかないもので、これもまた試練なのでしょうか。
しかし思わぬ出費で…汗
当日の飛行機チケットって驚くほど高価なのです。
新幹線のチケットも払い戻しができるのか不明ですし。。。
JRさんの会社が違うとかで博多駅では、どうにも対応できないかもしれません。
さてさて、気を取り直して…
今日の記事ではタイトルの通り、
「正しい理解を教えようとすること」
となんとなく意味深な文字を書いてみました。
随分前にもブログで少し触れたことなのですが、
例えば、大人が子どもに言葉を教えようとするとき、
間違った言葉の使い方をなおしていくという手続きをとることがあります。
これって、
「間違ってもいいんだよ」というメッセージにはならない。
というか、
そういうメッセージがなかなか伝わらないことになりそうです。
そもそも言葉を使おうとしていること、
学ぼうとしていることはパワフルなのに、
大人が正そうとすると、
子どもにとっては「間違ってはいけないのだ」
というメッセージに受け取られてしまうことがあるから注意が必要ですよね。
間違うこと自体は恥ずかしいことではありませんし、
そもそも間違いだとか、間違えないとか、
誰が何を基準にしているのかで異なりもあります。
あくまで例え話で表現してみましたが、
これは大人同士、CC同士でも例えることができると思います。
一例ですが、
初学者の方が捉え方を間違っていたとしましょう。
それを熟達者が正そうとすると、
メッセージとしては強い指摘になることがあります。
つまり学習者との関係性等によっても大きく響きが異なるので、
指導を行う方は、自分のメッセージがその相手にどのように伝わっていくのか、
考えて発する必要があるということです。
良かれと思って正しい理解を教えようとしたことが、
「間違ってはいけない」というメッセージになり、
相手を萎縮させてしまうことがあります。
「間違っていいんだよ」
というメッセージを自然に出すのは本当に難しいことでもあると思います。