昨日、講座の中で少し触れたお話しにもなるのですが、
(事例相談者の問題を考える前によかったところを見つけていきましょう)
といった考え方をお示ししています。
ただ、これは一般的に人の育成等の場面で当然のように謳われていたりして、
(ダメ出しでは人は育たない)
というようなヒットしやすい言葉で表現する方もいます。
さらには逆説的に
(人を褒めては育たない)
というように、
著名な学者や先生が示してくださっていることの一部を切り取り、
ひとつの解釈で自説を語る方もいます。
実に様々な意見や価値観、
偏った経験やデータ等から人を決めつけるように表現されることが多い気がします。
そもそも褒めるとか謗るとか、
そういう形だけのお話しではないと思うのです。
例えば、
褒めることを少し勘違いしていると、
「さすがだね!上手だね!!」
このような言葉をかけようとするでしょう。
これが褒めていることになるのかといえばちょっと違う気もしますね。
小さなお子さんに声をかけているような…
それを言われた方はなんだか馬鹿にされている感じもするかもしれません。
「おかげでうまくいきました。ありがとう」
と言葉をかけてくれたらどうでしょう。
※きちんと言葉を声に出してみると気持ちがわかります。
よかったらやってみてください。
あくまで一場面を切り取ってしまっているため全体がまるでわからないでしょう。
それでも、なんとなく何か伝わることがあればいいなと思って書きました。
決して上下のような関係ではないのです。
後者が本質的な褒め言葉になるのかもしれませんね。
要するにそれを受けた相手(人)が本当に嬉しいかどうか、
その人が自身の存在を大事に思われていると感じられているかどうか、
発した方ではなく、お相手なんですよね。
仮に、ダメ出しだとどうでしょう。
「それじゃダメだね。」
と言われれば、
それを受けた人の多くは嫌でしょう。
「もっとこうしてくれないと…これではうまくいかないよね」
と言われても同じく嫌です。
1級キャリアコンサルティング技能検定の実技(論述・面接)試験で、
《指導者なのだから》という立場的な役割について偏った認識に固執し、
試験では事例相談者の問題点が設定されていると過度に思い込む。
ネガティブな評価視点で事例を見続けていく。
早く問題を探り当てていくかのようにCCのありがちな問題の型に当てはめて、
それをいかに説得力のある言葉を使って文字化できるかの練習を繰り返す。
そうした視点ばかりが強化されてしまうと視野が狭くなります。
相談者(クライエント)のためにも!
といった正義や倫理観を発揮しているつもりが、
実は、事例相談者にしたことは、
結局そのまま相談者に伝わってしまう。
こうしたことを知っておく必要があります。
それは実技として大事なところだと思います。
事例指導者が事例相談者にとった態度や姿勢が、
事例相談者にとって辛いものだったとしましょう。
それはその後に事例相談者が相談者支援を行う際、
そのまま相談者にとる態度や姿勢として移っていくことがあるのです。
されたことを無意識のうちにしてしまう。
こういう現象があることを知っているからこそ、
事例指導者は常に事例指導の場面等を勉強し続けるわけです。
肯定的、否定的といった単なる表面的な言葉に惑わされず、
自己の成長は事例相談者の成長であり、
また事例相談者の成長は自分自身の成長でもあることを踏まえ、
その場その場において柔軟な認識で本当の時間を創造してほしいと願います。
最後に、論述問題を考える際、
事例相談者の問題を羅列する癖があるという方は、
それはそれで書き出してみることで気づくことがあると思うのです。
書き出してみた自分の書いた文字を冷静に見直してみると、
なんだか悪い現象ばかりを列挙していませんか。
《問題を出しているのですから当然…》
という声が聞こえてきそうです。
ではそれは事例相談者の役に立つのか、
もう一歩、踏み込んで考えてみると面白いと思います。
現象ばかりを書いても問題解決には至りません。
現象から論点を考えてみるということをしてほしい気がします。
深めて考えてみると行き着くところは、
この事例相談者がその行動をとった意味が理解できます。
すると問題の適切な設定に辿り着くことがあるのです。
仮にそれが複数出てきても優先順位を定めることもできるようになると思います。
こうしたプロセスが、
事例相談者への事例指導者の態度となって表れるのです。
それが本当の肯定的な態度と言えるのではないでしょうか。