昨日までの2日間、横浜で講座を受講いただいた方々へ感謝申し上げます。

そして本日は横浜では3日目となる対策講座を開催いたします。

ご予約いただいた皆様にお会いできることを心から楽しみにしています。

会場までお気をつけてお越しください。

 

今回の記事では事例指導の面接やスーパービジョンに重要な

「パラレルプロセス」について少し触れてみたいと思います。

今年度の講座の中でもお話ししているテーマのひとつです。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定の実技試験においても、

受検者(事例指導者)がこの現象をわかっていることは、

事例相談者とのセッションにおいて有益なことがあります。

この記事をお読みいただける読者の皆様もご一緒に考えてみてくださいね。

 

事例相談者はキャリアコンサルタントとしてクライエント支援にかかわっています。

面談の中でクライエントから様々な反応を受けそれを感じていることでしょう。

これを事例指導の面接に持ち込み事例指導者に対しぶつけてくることがあります。

 

つまり、事例指導者がパラレルプロセスをわかっている場合、

目の前の事例相談者が自分(事例指導者)に対してぶつけてきているのは、

事例相談者がクライエントから受けた体験、そこから得た感情等を出してきているのかもしれない…

このことをわかろうとすることができるか否かは、

事例指導の面接にも影響があるものです。

 

少し見方を変えて書いてみます。

 

事例指導者の事例相談者へのかかわりが純粋で、

事例相談者のお話しに集中でき傾聴力が活かされていると仮定します。

※仮に、試験等のロールプレイセッションだったとしても、

上辺だけの関係ではない本当の時間を過ごすことができていると、

事例相談者も事例指導者もお互いに実感できている関係が実現されている場合、

それは事例相談者は心から安心できるかもしれませんね。


こうした場だからこそ、

事例相談者は自分の面談・クライエントへのかかわり等を、

純粋に振り返る機会を得られる…

このような現象が起こることがあります。

※事例相談者の内省力の有無等を事例指導者が一方的に評価・判断しないことが大事ですね。

そもそも事例相談者の力に疑問を感じている時点で事例指導者側の認識にやはり何かが起きているように感じます。


お話しは戻ります。


事例指導者の自分(事例相談者)へのかかわりを模倣したくなるということ。

 

果たして自分(事例相談者)はこの事例指導者が自分に提供してくれている安心感をクライエントへ提供できていただろうか…

 

極自然に、

その後のクライエントとの面談でそんな優しさの意識が生まれてくるものです。

これも事例相談者の成長の一つでパラレルプロセスを指導者がわかっているかかわりにもなります。

 

パラレルプロセスの現象を理解していることは、

スーパーバイザーや事例指導者に必須なスキルなのかもしれません。

 

仮に、事例指導者の姿勢が正反対で、

事例相談者に対して否定的だったり、どこかで見下していたり、

相手(事例相談者)にそのような認識を微塵でも抱いているようであれば、

それは残念ながらそのまま伝わるでしょう。


意外と伝わるものなんですね。

 

すると事例相談者も事例指導者に対して嫌悪感を抱き、

さらにはその後のクライエント支援にも同じような影響を及ぼすことが相当な可能性で考えられるのです。

 

これもパラレルプロセスの現象。

 

事例指導者はそうした自覚を持つ必要があり、

例えば、

1級の論述問題やロールプレイ、口頭試問等に向き合う時も、

試験官の先生(評価)に目を向けるのではなく、

より事例相談者に集中して、事例相談者のことをキャリアコンサルタントとして理解していく努力を重ねていく必要があるのではないかと考えます。

 

私たちの見方や対応等によって事例相談者が受ける刺激。

それは事例相談者のクライエント支援にも影響することをイメージしていくことは大事でしょう。


時々指導者で

《事例指導なんだから、事例相談者のダメなところは放置してはならない。

きちんとダメ出しせないかん!!》

とおっしゃることもあります。


その人はそうして学んできたのかもしれませんが、

いくらか歪んだ正義感みたいなものからくる

「自分が正しい」

とする主張はいかがなものかと考えることもあります。

 

事例指導者のその態度、

そのまま事例相談者が模倣してしまうかもしれませんね…


それで本当によいのでしょうか。

 

事例指導者は、

後輩等から教えていただく姿勢が特に大事なのかもしれません。

少なくとも、

事例相談者には指導者が持っていない別の持ち味を備えていると思います。

 

そして真の指導者は自身が指導者であるなどとはある意味認識していないでしょう。


それが何事にも常に初心を忘れず取り組むことができる能力の一つなのかもしれません。