経験を通し学び合いのコミュニケーションを相互で重ねていくとき、

正しいとする考え方や言葉遣い等を基準にして相手を評価するモードに入ることがあります。

人に何かを教えるとき等もそうした手続きが必要になるものです。

 

すると

「間違っていいんだよ…」

というメッセージはなかなか伝えられないことにもなりそうです。

 

例えば、

 

事例指導の面接やスーパービジョンなどの場面でも、

「クライエントのため」といった思想が論題になっていることから、

事例相談者を責めてしまうことがあります。

 

(間違ったことを言ったら馬鹿にされそう…)

(見下されそう…鼻先で笑われそう…)

こんな学びの場面って嫌なものです。

 

しかし、

事例指導やスーパービジョンの場面でこういうことは結構起きています。

そしてセミナーや講座などでもそういうことって多い気がします。

 

お話しを事例指導の面接場面に戻して書くと、

事例相談者は自分の面談について何かしら気になることがあるから、

事例を振り返りつつ記録に起こす努力をしています。

 

その記録をもとにして(こんな面談じゃダメでしょ)的な発想はどこから生まれるのでしょうか。

1級の試験でもそうした感覚で事例に向き合っている人がいらっしゃるのかもしれません。

 

事例相談者が行っている振り返りを深めていくためにも、

振り返りサイクルを回していくサポートをするのが事例指導者の役割だと思います。

 

いつの間にか事例指導者が事例に記録されているクライエントのことを、

自分自身が担当しているかのように考えてしまう…。

 

これは、事例指導者の頭の中で自身の考えが正しい・適切だと思い込み、

それを基準にして事例相談者を何気に責めてしまっていることにもなり得ます。

 

事例相談者の自由な考えが生まれ難い雰囲気になりそうですね。

 

1級キャリアコンサルティング技能検定試験でも、

実技論述・面接試験の両方で、

この学び合いの意識はとても大切なんだと思います。

 

つまり、

事例相談者が気付ける仕組みを事例指導者が提供していく場をつくること。

 

気付きを促すということは、

事例指導者が何か正解を持っていてそこへ誘導するということではありません。

 

たまに「気付かせるため」と言葉で表現する人に出会うことがありますが、

それは自分が何か答えを持っているような感じを受けます。

ちょっぴり上からっぽい感じ…。

 

そもそも人が何かを学ぼうとしていること自体、相応のパワーを要します。

そんな事例相談者に水をさすようなことはしたくはないですね。

 

学ぼうとしているその姿勢や態度に意義深さを素直に感じられる人…

そうした人間でありたい。

学び合いにはそうしたことが、とても大切なんだと思います。