1級キャリアコンサルティング技能検定試験の論述について、

判断や思考が論理に偏って頼っている傾向があるのでは…

と感じることがあります。

 

もちろん、論理的な考えが悪いと書きたいのではありません。

 

ただそれが強過ぎると世の中の論理が通らないことには、

なかなか決断できない、考えがまとまらない…

というデメリットがあるのではないかと思うのです。

 

理解不能と悩むとき、その人の中で自己の理屈が優っていて、

相手のことを相容れなくなる。

 

極端ですが、

事例相談者(キャリアコンサルタント)の論理が破綻したような考えや行動に対して、事例指導者として注意が向いてしまいそれを許すことができなくなるとか、

苛立ってしまったりしてストレスを感じてしまうという難点があります。

 

ロールプレイなどでも、事例相談者の態度や発言から、

「私はクライエントに向き合っていましたよ。気持ちも聞いた。きちんとやった。

それはできた。あれもできた。」

というように事例指導者から何を尋ねても「全部できてます」と言わんばかりの反応だったとします。

 

これを抵抗と受け止める事例指導者もいると思いますが、

事例相談者からすればこれは抵抗していることにはならないかもしれません。

 

事例指導者からすれば

(え??そんな…あれもこれもできてるっていうならば、

じゃあ、なんでここに相談にきたの???)

という具合に訳がわからん!!ということになってしまいます。

 

こんなとき、皆様ならどのように対処するでしょうか。

 

一旦、自分が持つ論理を初期化してみること、

その覚悟が必要な気がします。

 

その人と一緒に時間を過ごしているという事例指導者の人間的な包容力を発揮してみる。

 

事例相談者はどうして

「あれもこれもした、できた、ちゃんとやったのだ」

と事例指導者に対して訴えるのでしょうか。

 

それを懸命に発している事例相談者は、

今、事例指導者と話し合っていて、何を考え感じているのか、

こうしたことは論理的にわかることではありません。

 

なのに事例指導者は、どうして?どうして??と答えを見つけに行こうとする。

 

論述試験問題を考えていくときも、

そうしたロジカルな思考ばかりが全面にあると、

どんな解答を記述することになるのか、

ちょっと想像してみると興味深いことが出てくるかもしれません。

 

整合性の取れないところに意味があったり、

大事なところになったりもする。

 

つまり、そうしたところを許せないと考え、

なんとしてもそこに問題を論理付けていこうとするから、

解答に記述していることにまとまりが無くなっていくようなこともあります。

 

皆様の中に、1級CC論述試験で、考えれば考えるほど結果が伴わなくなる…

という方は、とにかく脳をリラックスさせていく練習も必要かもしれません。

 

普段、論理破綻している言動等に対し悪い印象を持つことがありますが、

その時点で(こうあるべき)的な思考が根付いている可能性があり疲れます。

 

どうしてそのような矛盾と思われることが起きているのか、

それを受け入れていけるような包容力みたいなものは、

恐らく論理では処理し切れないことでしょう。

 

答えがない、正解のないような曖昧さ、

矛盾だらけの出来事、辻褄の合わないこと、

世の中、色々ありますよね。

 

だから面白いのではないか…という見方もあっていいかもです。