昨日のオンライン勉強会で少し触れたお話しなのですが…
クライエントからの相談を受けるとき、
オンラインツールやメールなどを使うことはとても難しいと感じています。
※私の感覚です。慣れることはないと思います。
どれだけカメラやマイクの性能が向上しても観察できないことが多くアセスメントし難いことがあります。
《改めてそんなことを書かなくてもカウンセラーなら誰でも感じているよ!》
《クライエントのためにも限られた中で工夫しているのではないか!》
という具合に思われるかもしれませんが、それをあえてブログ記事にしておきたいと思います。
※デジタルツールがよくないということを書いているわけではありません。
いきなり少し話がそれますが…
ある人がスマートフォンを使ってネットにアクセスし、
「日頃からこれで人と繋がっていると思える」と言いました。
実際このような認識の方は多いのが現状です。
繋がっているという意味合いもそれぞれに異なりますが、
ネットで繋がっていると信じていることは老若男女様々なシーンから感じとれます。
例えば、
相手からメール等の返信がないことで怒ったり、
苦しんだり、人生が狂ってしまうような発想を持つことも…
その人にとっては由々しき事態だったりします。
これはある意味バーチャルに依存していることにもなりますし、
異なる見方や発想が柔軟に浮かばなくなることがあるのです。
メール一通で長年築いてきた関係性が壊れるなんてことも実際にあるそうです。
そんな時、会って話をすることの重要性を感じられたりしますよね。
メールでもなんでもネットでその人が繋がっていると信じられるのですからそれでいいのかもしれませんし、確かにインターネットの向こう側には相手がいて本来ならメッセージを送れば反応して当然とどこかで決めているのでしょう。
これはデジタル処理された文字や動画等の結果をみて繋がっていると認識しているだけに過ぎません。
お互いにそういう認識でビジネスの世界ですらネットでのやり取りは成立しているし、悪い方向で使用されることも当たり前になってきています。
ここで記事にしたいことは、
この営みには心的過程があまり検討されていないと思うのです。
つまり画面上に出てきた処理された情報にとらわれてしまう。
心的な過程など必要のない世界ではいいと思いますが…。
文字を打つ指先、打ち方、どれだけ悩み言葉を選んだのか等、
全くその人のことがわかりません。
保存してまた考えてまた保存して…と繰り返したのか、
パッと打って返信反応しているのかわかりません。
ネットに繋げるとき、イライラしているのか、
めちゃくちゃ愉快な気分だったのか、
それはいくらでも上書きして隠すことができます。
大事な面接だって下はパジャマかもわかりません…笑
どんな気持ちからその人がそのような行動をとっているのかは、
本当に人それぞれで価値観が違いますよね。
そのネット接続に対して軽く見積もっているのか、
それとも相手に対して特段の敬意を感じていないのか、わからないものです。
日頃からリアルに感じていることなのですが、
キャリア形成支援にはメンタル面での支援も必要になることが多い。
それが初回面談だったとしても微妙なサインから、
これはきっと日頃とは違うな…と仮説を立てられる。
その異変にフラグが立つ時は、
服装や匂い、瞳の奥の濁り、目線、肌荒れ、肌色の変化、
そして小ギザミに揺れるボディ、手先の震えや落ち着きなさ、
様々のところに細かなサインを感知したときです。
面談を行う以上、そうした相手の心の振れの豊かさ(あえて豊かさと書きました)の表出をこちらが知覚することが必要です。
これを見逃さなかったからこそ、将来に向けたキャリア形成支援が成立したことも数えきれない程に体験しています。
スマートフォンやパソコンを通しての面談では、
物理的な負担が少ないためか、気軽に感じられているためか、
容易にドタキャンすることもある。
ところが実際のリアルの面談では約束時間からの制約等、
現実的な負担が現実として課せられ別の反応として表出するものもあります。
面談への良い加減の負担というのはクライエントにとって必要なこともあるのです。
よく表現すればお互いの現実的な「特別な時間」が創造しやすいと思います。
お話しを戻すと、私たちキャリアカウンセラーがインターネットに依存していることがあると思うのです。
クライエントにも知らず知らずにスマートフォンに依存している人がいます。
その虚構空間が現実であると勘違いしてしまっていることもある。
その要支援者に対してインターネットで対応する。
リスクを感じるのは私だけでしょうか。
ここにカウンセラーもクライエントもお互いに利便性を感じていることはある意味で問題があると思うのです。
ネット環境に過剰反応と期待が過ぎると目新しく映る便利アプリケーションなどに飛びついてしまう人もいます。
※実際に著名な教授がスマートフォンのアプリケーションである療法を提供されていますが、そのリスクについて深く考えられていないと思うのです。
バーチャルが人生の全てだと誤解している人がこの世に存在していることを知っていて、専門家がそうした対応をしているとなると不味い気もします。
人間的な豊かさは、いつまで経ってもデジタル化することはできないのであり、
その人の豊かさやかけがえのない個を大切にする私たちの仕事は、
決して何かを便利に処理したり楽をしたりすることではないと信じています。
オンラインというものがデジタルツールであり処理されているコンテンツを単に使った心ないものであることを忘れてはなりません。
スピーカーから響く音、画面から映し出されている情報はデジタル処理されたものでしかない。
これを使って労力を軽減し利便性を追求するとなると、
大切なものを見失う可能性もたくさんあると思うのです。
先ずは実際に会うことに心の豊かさを感じられることがある。
これは普遍的な価値だと思います。
クライエントのために会う負担を軽減させたいから…
というのは思いやりにもなることもあるかもしれませんが、
もしかしたらカウンセラー側の都合によるものもあるのかもしれません。
先ずはクライエントに会う努力をするのはカウンセラー側の仕事になることもあるのだと考えます。
勿論、この時代ですから、今後も試行錯誤を重ねていく必要がありますよね。
決して妥協することはできないと思います。