※この記事は私の見解等を記しています。
私が傾聴を学んでいるとき(今も学び続けています)、
当時先生から教えられたことのひとつに、
とても印象的で大切にしていることがあります。
20年以上が経った今でも、自分自身なかなかできていないことが多く、
とても難しいと感じていますが、
それでも、常に意識ができるように努力を重ねているつもりです。
今回、ここで書くことは、人間関係に関わる話題であり、
とてもデリケートなのですが、
この記事を読んでくださる方は、
キャリア形成支援のプロフェッショナルであると考えて記事を書きます。
先日、ある方々のお話を聞いていて私自身が感じたことなのですが。。。
ある業界の方々のコミュニティで話題となっていたのが、
人間関係で悩んでいる組織、そしてそこに所属する人たちのこと。
そもそもコミュニケーションに問題があるというお話が発展し、
結局、それぞれの自己理解が足りないなどという展開がありました。
キャリアコンサルタントの世界にも、
よく、
「自己理解不足」
「コミュニケーション不足」
というキーワードが軽々しく発せられるシーンがあります。
これはとんでもない話です。
それを発言しているその人自身が、
自己理解って何を指しているのか、
コミュニケーションとはその場で何を指すのか、
非常に抽象的で曖昧なまま、
集団にいるメンバーがそれぞれの認識で話を進めているから怖いものです。
人によって、
その場その時で言葉の意味合いが変化するかもしれません。
私はこれを傍観者のように聞いていて、
そのお話をしている当事者の方々のほうが、余程、自己理解が足りない、
コミュニケーション力が弱いのでは…
と感じてしまったものです。
※勿論、これは私が個人的に感じたことであり外には発言していません。
(発言できていません。)
そして、私自身、このような記事を書いているにもかかわらず、
結局、人のことを客観的に評価していたり、分析してしまっていたりします。
難しいですね。
※ここは私の日記的側面があるのでお許しください。
例えば、
ある集団の中でお話をしていて、
メンバーの中の一人が、自分のことを中心にして、
意見や見解をもとにお話を続けていたとします。
その話を聞いている人の中に、
《もっと他の人に話をさせろよ》
《この人の話は長いよな》
と思っている人がいたとしたならば、
その人は既にその人の話を聴けていません。
要はその人こそ、
自分が中心になっていることにもなるのかもしれませんね。
勿論、グループ全体の話し合いが健全な方向に向かうように、
その偏りの修正を含め、
メンバー全員のために調整する役が必要なこともあるでしょう。
しかし、
本当に一人ひとりのメンバーを大事にしていくという姿勢があるのであれば、
その大切にしていくべきものを全員で共有できるように、
その場でバランスを取ることが必要なのであり、
せっかく懸命に話をしている人のことを遮るのはどうかと思います。
話をしている人(メンバーの一人)の自己理解をより深めていくことは、
その集団にとっても大切なことかもしれません。
一人の成長が集団の成長にもつながります。
よって、単に集団にいる全員が平均的な時間数、
ただ発言できればいいというのではないのです。
例え、一人の人に時間が偏っていたとしても、
その内容から、一人ひとりの自己理解、他者理解が進むことも、
集団にとって効果的な場というものがあることを学ばなくてはなりません。
自分の価値観で、良かれと考えて人の発言、話を遮ることは、
色んな意味で人を傷つけていることにもなる。
そしてこの現象は残念なことに、
人と人との生理的な相性もあるのかもしれません。
「ちょっとあの人とは合わない」
「あの人はどこか嫌だ」
「喋り方が気に食わない」
等々。
阻害要因のひとつです。
それでは、なかなか全ての人間が好きにはなれない。
「人が幸せになれる」
「目の前の人が豊かになれたら」
と理想的なことを言いながら、
実は全ての人がそうなって欲しいということは考えていないことにもつながります。
自分が気に入った人だけが幸せになればいい…
と無意識に感じてしまっていることもある。
プロとしてもっともっと、
人の話を聴ける人になりたいものです。
どんな人の話でも。
決して、客観的に人を分析したり、
安易に評価してしまうような人にはなりたくないものです。
これが今のネット等での誹謗中傷などにもつながっていると感じます。
人のキャリア形成支援には、
そのような分析力は何にも役に立たないと私は強く感じます。
これは現場で強く感じることです。
だからこそ、キャリアコンサルタントとして、
面談の展開より何より、
人の話を徹底して聴く覚悟を
絶えず学び続けていく必要があると思うのです。