事例指導者の立場で話を聞こうとしたとき、
事例相談者から自分に向かって積極的に相談をしてくれるはずだと思い込んでしまうことがあります。
事例指導者は事例相談者を「話し手」として認識しているので、
無意識に「聴いてあげる」的なかかわりになっていることもあるのです。
こわいですね。
このような関係性では双方の対話が深まることは期待できません。
1級キャリアコンサルティング技能検定試験の面接試験でも、
受検者の方が
《試験だからこうなって当然》
と思っている通りのシナリオになると考えているととんでもないことです。
人間関係が弱いままの状態で、
「本日の事例指導を担当する小林です。」
などと発すれば、まだ、お互いになんでもない関係なのに、
事例指導者が勝手に成りきり状態になっていること自体がおかしいことにもなるでしょう。
本日事例指導を担当するとか、事例相談を受けるなどと表現せず、
普通に名乗るだけでも十分かもしれません。
人間関係が弱い状態のままでは、
言葉遣いひとつでもズレが生じやすいです。
十分な関係性がないうちは、なるべく手短に、
この場の目的をしっかりと共有できる場面を作ることが重要だと思います。
要するに、
この場はなんのために話し合うのかということです。
いかに簡潔にそれを伝え、相手と真から共有できるか、
それは必須でしょう。
※まわりくどい理解が難しい表現は苦しいだけになることもあります。
このブログで幾度か記事にしていますが、
事例相談者に事例の説明をしてもらって事例についての情報を沢山得られたところで、
この場がなんのためにあるのかが明確になっていなければ、
事例相談者にとって、話したことが何も役立たないと思います。
(事例指導者は情報を得られて満足かもしれませんが…。)
ケースを知るために話をしてもらうわけではありません。
ケースを通して事例相談者を知ることが大事です。
事例指導者が事例相談者のことをひとつでも多く理解できることで、
対話は進んでいくのでしょう。
事例相談者にとってみれば、
事例指導者に自分のことを理解してもらった感じがあれば、
さらに話を聴いてほしいと思えるのでしょう。
そうした話し合いが対話として成り立っていくのかもしれません。
結果、人間関係がより深まり、
事例指導者としての意見をも発することができるようにもなるのだと感じます。